第三章 ばいばい、ノゾミ

「やったよ、やったよ。レディレイ、ジュードーマン。」
 私はレディレイ達を振りかえった。そしてその瞬間、全身から血の気が引いた。
 レディレイはひざまづいてジュードーマンを覗き込んでいる。
 もしかして、もしかして、私、間に合わなかったの?
「ジュードーマン!」
 私も慌ててジュードーマンに駆け寄る。
「大丈夫だ、清川さん。肋骨が二、三本いかれたようだが、それだけだ。」
 肋骨が二、三本って、それって全然大丈夫じゃないじゃない。
「ごめんなさい。」
 私はぎゅっとジュードーマンの手を握り締めた。
「何を謝ってるんですか、清川さん。君はちゃんと私が作ったチャンスを生かしてくれたじゃないですか。身体を張った甲斐がありましたよ。」
 そうか、ジュードーマン。あの机にぶつかったのはわざとだったんだね。
 でもなぜそんな危ないことをしたの?あれだけの動きが出来るんだから、自分で触手をかわして攻撃すれば……。
 だめだ。ジュードーマンの生身の攻撃じゃデビイにはまったくきかない。
 ジュードーマンはそれがわかって……、ジュードーマン、ありがとう、ジュードーマン。
 私はジュードーマンの手を強く握り締めた。
「あたたたた。清川さん、さ、流石にすごい握力ですね。」
 そ、そうか。私はスーツを着てるんだ。気をつけなくちゃ。
 私は慌てて力を抜いた。
「先生、清川さん。」
 レディレイが小さい悲しそうな声で言った。
「私は彼を病院に運びます。」
 ジュードーマンが慌てて首を振った。
「いや、結構です。このくらいの怪我なんでもありません。私は自分で病院に行きます。」
「動かないで!」
 レディレイが叫ぶ。
「肋骨が折れているのよ?肺に刺さったらどうするつもり?頼むから……私に……運ばせて……。」
 ジュードーマンはあげていた頭をレディレイの方からそらした。
 レディレイの顔はこっちからは見えないけど、もしかして……。
 レディレイは手をそっとジュードーマンの下に差し入れるとゆっくりと持ち上げた。
 そりゃ、スーツでパワーアップしているから簡単なのはわかるけど、華奢なレディレイがごついジュードーマンを軽々と抱えているのはちょっと不思議な眺め。
「お、お嬢様。私は自分で歩けます。」
 レディレイはその声を無視する。
「柴田先生、後のことはお任せします。」
 レディレイはこちらを振り返らずにそう言った。
 柴田先生はそれに対して黙って頷く。
 だーから、レディレイはこっちを見てないんだってば。それじゃわからないんだってば、先生。
 レディレイはゆっくりとドアに向かって歩き始めた。
「ちょっと待ってください。お嬢様。胸が……胸があたっています。」
「うるさい。静かにしないか」
「降ろしてください、お嬢様。私は自分で歩きます。」
 あ、ドア!
 私は慌ててドアに駆け寄って両手がふさがっているレディレイのかわりに開けてあげた。
「ありがとう、清川さん。」
「清川さんからもお嬢様に言ってください。私は自分で歩けます。」
 ジュードーマンは階段を上がっていく途中ずっとそんなことを言っていった。
 レディレイは返事をしない。少なくとも私には聞こえない。そして階段を昇りきるあたりでやっと諦めたのかジュードーマンの声は聞こえなくなった。
 痛くて自分からは降りられないくせに、ジュードーマンってば……。
 扉をばたんと閉じて振りかえると柴田先生はデビイの横にひざまずいて彼女の様子を見ていた。診察しているんだと思う。
「デビイ、大丈夫ですか?」
 ばちっ。
 あれ?何の音?まだデビイのスーツがはじけている?
 ううん、そうじゃない。今の音はすぐ近くで聞こえた。
「ああ、スーツはいかれてしまったが、身体にはなんの異常もない。しばらくは目を覚まさないだろうが大丈夫だ。」
 私はデビイの横まで歩いていって顔を覗きこんだ。
「早く目を覚まして欲しいですね。私は彼女に聞きたいことがたくさんあるんです。」
「ん?あ、ああ。そうだな。」
 芝田先生は一瞬きょとんとした顔を私に向けた後、そう言った。
 なに?私、そんな不思議なことを言った?
 ぱちっ。
 また音がした。今度はさっきより小さい音で私の耳元でなった。
 なんなんだろう、この音は。
「デビイも可哀想に。あんなに必死だったのになぁ。」
 芝田先生がデビイの髪をいとおしそうに撫でる。
 なんで?デビイは敵でしょ?その敵になんでそんなに優しくできるの?デビイのせいで早乙女君や間淵先輩があんな目にあったのを忘れちゃったの?目の前で山元先輩がやられちゃったのを見なかったの?
 かちーん。
 そのとき、私の頭の中で今までばらばらだった不信な点が一つにまとまった。そして今まで気がついていなかったこと気にしていなかったことが重要な問題としてぐるぐる回り出りだした。
 そう、芝田先生ってやっぱり何かおかしい。何か隠してる。何か嘘をついてる。
 私はずっとずっと疑ってた。ずっとずっと信じてなかった。それなのに芝田先生の説明を結局は信じてしまっていた。
 先生がキラメキマンを作った理由、校長先生があんなことを言った理由、それがすべて嘘だったとしたら?
 そう、その方が筋が通る。世界平和を守るとか補習授業の振りをしているとかそんなのが全部嘘だという方が筋が通るじゃないか。
 すべてがひとつにつながった。後は芝田先生から本当のことを聞くだけだ。
「芝田先生、聞きたいことがあるんですけど。」
 私は芝田先生を見下ろしたまま言った。自分でも意外なくらいひどく冷静な声だった。
 芝田先生は私に向かって顔を上げる。先生も妙に冷静な顔だ。私が気がついてしまったことに気がついていないのか、それとも私が私が気がついてしまうことがわかっていたのか……。
「早乙女君がデビイにやられたあの日。芝田先生、早乙女君に証拠が必要だって言ったんですよね?」
「ああ、言った。」
 芝田先生の顔には表情がまるでなかった。こんな芝田先生は今まで見たことがない。
 もしかして、私達がこれまで見てきた芝田先生はすべて偽者?ギャグがそのままなのも、今一歩間抜けなのも、今一歩鈍いのも全部演技だった?
 そうなのかもしれない。ううん、きっとそうだったんだ。
 ぱちっ。
 今度は胸のあたりから小さな音がした。
 なんだろう?これも気になるけど、でも今はこっちが優先だ。
「私、あの日。校門で早乙女君のことを待ち伏せていたんです。」
「ああ、それで?」
 芝田先生の表情はまったく変わらない。でもどことなくあきらめたような悟ったような感じがする。表情でも声でもないけどどことなくそんな気がする。
 いや、それだけじゃない。何か安心しているような、自信にあふれているような雰囲気もある。何かが、まだ何かがあるんだ。何かを隠しているんだ。
「あれは初めてデビイを見た翌日なんです。」
「ああ、それで?」
 芝田先生の声がうつろに響く。ひどく非現実的な感じだ。芝田先生が無表情だからというのもあるけど、それだけじゃない。なんだか見えるもの、聞こえるもの、すべてが非現実的だ。
 まるで映画かビデオを見ているみたいにすべてが感じられる。
「早乙女君はデビイに登校中に偶然会ったんだと思うんです。」
 芝田先生は黙って頷く。
 私の声もどこか遠いところから聞こえる。
 ひどく眠いような、ひどく疲れたような、身体も心も重くなってしまったようだ。
 でも、ここで止めるわけにはいかない。私は肝心な質問を、一番聞きたかったことを口にした。
「じゃあ、早乙女君はなぜその場でデビイと戦わなかったんです?」
 芝田先生は頷きもしない。黙って私を見つめている。
 やっぱり、私の考えは正しかった。証拠だなんて早乙女君が気にするわけがない。あれは誰かにそう指摘されたんだ。そう、誰かに……。
「先生、もしかして早乙女君がデビイにあったその場にいたんじゃありませんか?そして戦おうとした早乙女君を止めたんじゃありませんか?」
「……。」
「答えてください、先生。教えてください、先生。先生は早乙女君と一緒に登校していたんですか?それとも……。」
 じじじじじじじじ。
 気がつくと私の頭の周りで小さな虫が泣くような音がする。
 何?何が起こっているの?この非現実的な感じと関係がある?
 ばちっ。
 いきなり大きな音がすると突然私の変身がとけた。そのとたん、私の身体から力が抜けて立っていられなくなった。
 私は崩れるようにその場にへたりこんだ。
 なに?どうしたの?
 身体が重い。ううん、身体だけじゃない。目も耳も口もひどく重い。
 見えるもの聞こえるものがすべてぼやけている。何かしゃべろうとしても口はまるで動かない。
「やはりオーバーロードしていたか。」
 芝田先生の声がひどく遠くで聞こえる。そして、聞こえてはいるのだけれどその意味が私の頭の中に入ってくるのにひどく時間がかかる。
 だめだ、私はまだ答えを聞いていない。それに聞きたいことはこれだけじゃない。
 なぜ、デビイはあの日、私達がキラメキマンを止めようとしたちょうどその日にここに来たの?
 なぜ、デビイはジュードーマンが出てきたときにあんなに慌てたの?
 ううん、聞かなくても分かっている。私が聞きたいのは芝田先生が本当は何をしているか、何をしたいのかなんだ。
 私は必死に頭を集中させようとした。眠気に似た大きな力が私を押しつぶそうとするのに必死で耐えた。
 何度か波に飲み込まれそうになりながら、私はやっと意識を芝田先生の言葉に集中させた。そしてそのとき、ようやく芝田先生の言葉が頭の中で意味を持った。
 オーバーロード?
 それって、私の今の状態と関係がある?そう言えば、さっきから頭が重かったけど、それと関係がある。
 私は重い首をやっとの思いで芝田先生に向かってあげた。
 芝田先生は優しそうな顔で私を見ている。赤ちゃんを抱いたお母さん。ペットと遊ぶ飼い主、そんな目だった。
「清川君、君はスーツの限界を超えて動いてしまったんだ。君はあの時、君がデビイの触手を攻撃したとき、オーバーリンケージ状態になっていなかったか?」
「オーバーリンケージ。」
 かろうじて意識は芝田先生に向けておくことはできるけど、何かしゃべるのもひどくつらい。
 なんで私はこんなに疲れきっているの?どんなに練習した後でもこんな状態になることはないのに……。
 違う、これは疲れじゃない。眠気でもない。すごく似ているけど、それとは全然別のものだ。
「時間が間延びしたような感じを受けなかったか?」
 私は力なく頷く。
 そう、あれは確かにそう言う感じだった。あれがオーバーリンケージなのか。
「スーツは人間の運動を強化する。それには神経とスーツの結合が必須だ。通常それは装着者の反応速度を上回ることはないが、ある種の条件がそろったとき、スーツからのフィードバックと神経からの反射が強化しあい、装着者の反応速度、運動能力を極限まで引き上げてしまうことがある。それがオーバーリンケージだ。」
 だめだ。声は聞こえるけど、意味を理解することができない。お酒に酔ったり、薬でらりったりするっていうのはこういう感じなのかな?
 ふわふわ浮いているような、泥に沈んでいるような……。だめだ、しっかりしないといけないと思っているのに……。
 それにもともとずいぶん難しい話をしているみたいだし、もう何がなんだか……、全然……。
「オーバーリンケージは非常に危険だ。スーツの性能を極限まで引き出してしまうのもだが、それ以上に装着者の身体能力を極限まで使用してしまう。今、君を襲っている異常な疲れは通常人間が使うことがない100%の能力を君の身体が出してしまった結果だ。」
 だから、先生。説明が長いんだってば。
 私、もうだめ。だめだからね、芝田先生。
「しかも、一度オーバーリンケージを体験してしまった装着者はそれをどんどん加速してしまう傾向にある。装着者の神経がオーバーリンケージに入るこつを掴んでしまい、どんどん高いレベルでそれを行ってしまうのだと推察されている。」
 考えが全然まとまらない。眠いわけでもないのに今にも眠ってしまいそうだ。
 私の身体どうしちゃったんだろう?あ、今芝田先生が説明しているんだっけ?
 でも、何か大切なことが……、寝ちゃいけない。いけないんだ。
 でも、それってなんだっけ?
「その結果がどうなるのかを試してみることはできない。いろいろな結果が推察されるが、それはどれも望ましいものではない。」
 だめだ。眠ってしまう。すごく眠い。
 でも、眠っちゃいけない。あれ?なんで眠っちゃいけないんだっけ。
 そうだ、何か聞きたいことがあったんだ。でも、思い出せないし、もういいか。
 ……だめだ。
 今、聞かなきゃいけないんだ。どうしても今聞かなきゃいけないんだ。理屈じゃない。私には絶対にわかる。今、どうしても今、聞かなきゃいけないんだ。
「だから、さようなら清川さん。君は良くやってくれた。」
 芝田先生が私のウオッチに手を伸ばす。
 いけない。ウオッチに触らせちゃいけない。
 私はウオッチを……。だめだ、全然動けない。
「止めてください、先生。」
 しかし、それは声にはならなかった。もう口なんか全然開くことができない。
 それに何を止めて欲しいのかももうわからない。
 だけど、だけど、絶対にそれをされちゃいけないんだ。そうじゃないと……、そうじゃないと……。
「ありがとう、清川さん。さあ、夢から覚める時間が来たようだ。」
 芝田先生がウオッチのボタンを複雑に押す。
 ぴかっ。
 ウオッチが銀色に輝く。
 そして私は……。


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