第二章 ばいばい、デビイ

 デビイの触手がしゅるしゅる縮んで普通の手ぐらいの長さになった。
「さあ、あとウォッチは二つや。さっさと回収させてもらお。」
「まて。」
 デビイが攻撃を開始する直前に芝田先生がそう叫んだ。
「山元の手当てをさせてもらう。お前だってこんなところに山元が倒れていたら邪魔だろう?」
 芝田先生はデビイの返事も待たずに倒れている山元先輩の横に進み出た。
 デビイはむっとした顔を芝田先生に向けているけどそれを邪魔しようとはしない。
 うーん、デビイも倒れている山元先輩は邪魔なのかもしれない。でも私はデビイはそんなことは気にしないでどんどん暴れちゃうタイプだと思ってたんだけどなぁ。
「よし、たいした事はないな。」
 芝田先生は山元先輩をひょいと抱え上げると店の奥に向かって歩き始めた。本当に軽がると持ち上げている。うわー、芝田先生って意外に力があるんだ。
「さあ、もういいぞ。はじめたまえ。」
 芝田先生は山元先輩を机の脇に横たえるとその横にどっかりと座り込んだ。
「今更そんなことを言われてもなぁ。」
 デビイがばりばりと頭を掻いた。そうだよね、なんだか気勢をそがれちゃったっていうかタイミングを逃しちゃったっていうか……。
「清川さん、油断しちゃいけない!」
 え、レディレイ?何?
 その時、私に向かって何かがすごい勢いで……デビイの触手だ!
 私は迫ってきた触手のうち二本をかろうじてかわしたけど、三本目に足をすくわれてしまった。
「清川さん!」
 レディレイが叫んだ。私の方に駆け寄ろうするのが見える。でもそこにデビイの残りの三本の触手が襲い掛かる。同時に倒れている私にもかわした最初の二本が襲い掛かる。
「いいざまや、清川さん。うーん、かいかーん、や。」
 デビイの高笑いや挑戦的なセリフに構っている暇はない。私はころがって触手を避けると跳ね上がるように起き上がった。
 そこに三本目の触手が横殴りに襲ってくる。
 私はそれをかろうじてしゃがんでかわした。でも、その直後に別の一本が私に向かって迫ってくる。
 くっ、この触手って思ったよりやっかいだ。次々に連続して、いろんな方向から攻撃してくる。
 よーし、こうなったら。
「これならどうだ!」
 私は迫ってくる触手を思いっきりぶん殴った。避けられないなら壊しちゃえばいいんだ。私が殴った触手はぐいんと大きく波打った。
 あれ?でもそれだけだ。触手はまたこちらに向かって迫ってくる。
 うわー、この触手って思いっきり頑丈でその上柔軟だぁ。
「なめてもらったら困るわー。このデビイの触手はそんなんで壊せんよ。」
 そんなこと言われなくてももう十分分かったよ。どうせ教えてくれるなら弱点にしてくれないかなぁ。
 ひゅん、ひゅん。
 次々に襲って来る触手を避けるのが忙しくて作戦を考える暇がない。でも分かったこともある。デビイの触手は遠くから勢いをつけて襲ってくるだけでかくって曲がったり、近づいてきてから急加速をしたりはしない。つまり、ぐるんと回ってくるかまっすぐ突っ込んでくるかどっちかしかないんだ。
 もっともそれがわかったところでどうにもならない。結局は捕まらないように避けているだけで精一杯だ。
 もし捕まってしまったら……。
 私はちらっと山元先輩のほうを振りかえった。
「きゃっ。」
 レディレイが触手の連続攻撃を避けきれずに一発くらって壁に叩きつけられた。デビイはすかさず他の触手で追い討ちをかける。態勢を崩したレディレイはそれを避けられない……。
 と私は思ったんだけど、レディレイはかろうじて態勢を立て直して襲ってくる触手をかわした。
 でも、そこにもう一本の触手が……。あ、あれは私が弾き飛ばした触手だ。レディレイは気がついていない。危ない、レディレイ。
 そのとき、扉がばーんと開いて黄色い風のようなものがデビイのわきを吹き抜け、レディレイと触手の間に飛び込んだ。
「どりゃああ。」
 黄色い風に見えたのは黄色い柔道着と目のところだけ穴が開いた毛糸の帽子のようなマスクをかけたごつい男だった。彼は横殴りに襲ってきた触手を両手で掴むとくるっと背負うようにして膝の裏あたりで蹴り上げた。
 触手は大きく方向を変えられてレディレイの頭のはるか上をないだ。
「な、何者や、あんたは!」
「斎藤、お前、一体なぜここに!」
 デビイとレディレイは同時に叫ぶ。
「私は斎藤ではない、正義の柔道家ジュードーマンだ。お嬢様や清川さんに手を出すのはこの私が許さん。」
 ジュードーマンはぐっと胸を張ってデビイにきっぱり言い放った。でも、そうか、彼は伊集院君のボディーガードの斎藤さんだ。でも一体なぜここに?
「お嬢様、清川さん。私が来たからには百人力です。さあ、さっさとこの趣味の悪いねぇちゃんをやっつけてしまいましょう。」
 ジュードーマンはデビイに向かってダッシュしようとした。
「なめてもらったら困るわ。」
 二本の触手がジュードーマンに襲い掛かる。一本は足元をなぎ払うように、もう一本は左胸のあたりを一直線に……。
「たっ。」
 ジュードーマンは軽く斜め後ろにジャンプして両方を同時にかわした。と、同時に脇を通りすぎる触手を床に叩きつける。すごい、流石斎藤さんだ。最小限の動きでかわしておいて、しかもすぐには次の攻撃に移れないように触手の動きを制している。
「それにあんたに趣味が悪いなんて言われる筋合いはないわ。」
 私と戦っていた触手がジュードーマンの方に向きを変えた。
 チャーンス。今しかない。私はデビイに向かってダッシュ、と思った瞬間、景色がくるっと回って私は床に叩きつけられた。
 なに?今の触手、どこから来たの?
 のんびり考えている暇はない。私はすばやく後ろに転がって立ち上がった。そして見た。レディレイがはじいた触手が方向を変えてジュードーマンに、ジュードーマンがやり過ごした触手が長さを変えてレディレイに襲い掛かるのを……。
 そうか、さっき私の足を払ったのはさっき私の足を払ったのはジュードーマンがやり過ごした触手だったんだ。
 これはやっかいだ。確かにさっきまで一人あたり三本だった触手は今は一人あたり二本になっている。
 でも、デビイが攻撃の矛先をくるくると入れ替えるから結局六本全部の触手の動きを目で追わないといけない。
 一発一発の威力はだいぶ落ちているけど、攻撃間隔はさっきまでとほとんど変わらない。
「ほーっほっほっほっ。三対一でもあんまり変わらんみたいやねぇ。」
 くっ、悔しいけど。確かにそうだ。最初からまるで動かないデビイに私達は一歩も近づけない。
 まるで動かない?なぜ?こちらが下がったときとかにデビイの方からこちらに近づいてくれば私達に壁を背負わせたりしてもっと有利に戦えるんじゃない?
 そういえばジュードーマンがデビイの脇を通りぬけたときもぴくりともしなかった。どうして?あれが攻撃だったらどうするつもりだったの?
 ひゅん、ひゅん。私は襲ってくる触手をかわしたり払ったりしながら考えた。
 私達をからかっている?ううん、デビイにもそんな余裕はないはず。だからこそ、三対一でも戦えると分かったときにあんなことを言ったに違いない。
 だとすると……。
 私は触手の攻撃の合間を縫って、椅子をひとつ掴むとデビイに向かって投げつけた。
 椅子は床で一度バウンドするとデビイの膝あたりにがんという大きな音を立ててぶつかった。
「なんの真似や、清川さん。そんなもんこのデビイスーツにはなんも効かんよ。」
 スーツってそのぼろぼろになった白衣?と突っ込みたいところだけど、私はその言葉をまるで無視した。
 私だって時と場合をわきまえるって事を知ってるんだ。
「ジュードーマン、レディレイ。デビイは動けないよ。」
 そう、なぜかはわからない。でもデビイは動けないんだ。
 ううん、自分から動かないだけじゃない。あれだけ激しく椅子がぶつかったんだからよろめくとかせめて足が動くとかしそうなものだけど、デビイはまったく動かなかった。
「そうか!清川君、作用反作用の法則だ!」
 それは芝田先生の声だった。
 芝田せんせーい、こんなときに授業をしようっての?いくら私が穏健だからって怒るときは怒るよぉ。
「デビイは触手の攻撃の威力をあげるためになんらかの方法で体を固定しているんだ。」
 ん?それって作用反作用の法則となにか関係がある?
「なるほど、下半身を安定させてパンチの威力をあげようという寸法ですね、先生。」
 ジュードーマンの声だ。
 ……なんだか良くわからないけど、やっぱりさっきの作用反作用の話と関係がある?もしかして、作用反作用って突然思いついて授業をはじめたんじゃなくてデビイが動けない理由だったりする?
「よう見抜いたわ。でも、それがわかったところで状況はまるで変わらんよ。ほれほれっ。」
 ひゅん、ひゅん。デビイの触手が次々に襲ってくる。
 確かにその通りだ。でも、ひとつ分かったことがある。デビイの触手をかいくぐることができればデビイはこちらの攻撃をよけることはできないってことだ。
 だから、飛び込んで触手の付け根に思いっきり攻撃を加えればデビイを倒すことはできなくても触手には致命的なダメージを与えることができるかもしれない。
 でも、問題はどうやってこの触手をくぐるかということ……。あー、これがなんとかならないと結局どうにもならないのか。
「おっとー。」
 触手を避けたときに何かにぶつかったのかジュードーマンがよろめいた。
 そこをすかさず別の触手が襲う。
「なんのこれしき。」
 ジュードーマンはすばやく身をそらして触手をやり過ごす。でもよろけていたせいか、触手が胸のあたりを激しくこすった。
 うそっ、ジュードーマンの柔道着が裂けて胸のあたりに血が滲んだ。
「はっ、芝田先生。私らに内緒で作った割にはずいぶんいいかげんなスーツやねぇ。」
 ジュードーマン、大丈夫?スーツの機能はまだ生きてる?
 でも、あれ?良く見たらジュードーマンってウォッチをしてない?
 もしかして、あれってウォッチが要らないスーツ?だったら私もああいうのがいいなぁ。だって、このウォッチってデザインがダサいんだもん。
「しっ、しらん。先生はそんなスーツは作っていない。レディレイ、お前が作ったんだろ?」
 ジュードーマンは触手の追い討ちをかわしながら裂けた柔道着の隙間に手を入れて胸に滲んだ血を親指でぬぐった。そして指を口に持っていって……ぺろっとなめようとしたんだろうけど、あいにくジュードーマンのマスクは口が開いていなかった。
 うん、余裕があるね。ジュードーマン。スーツはまだ大丈夫だね。
「しっ、知りません。斎藤、お前、そのスーツどうしたんだ?」
「スーツ?なんのことです?これは私の練習用の柔道着を黄色く染めたんです。」
 うそっ。じゃあ、じゃあ、ジュードーマンってもしかして生身で戦ってる?
「おっ、お前。それは生身のままこのデビイと戦っていたということか?」
 デビイの触手の動きが一瞬止まる。チャンスなんだけど……、チャンスなんだけど私は動けない。レディレイもそうみたいだ。
 生身?ジュードーマンは生身?生身のままで触手の攻撃をしのいでいたの?
 ジュードーマンはぐっと胸を張って言った。
「柔道の極意は柔よく剛を制す。お前のような力任せの攻撃をしのぐのにスーツなどの力を借りる必要はないわぁ。」
 柔道?生身?
 で、でも、それじゃあ、あの触手の攻撃を一発でも食らったら……。
 ジュードーマンを除いた全員は固く凍り付いていた。
 そう、いつのまにか私達は激しい戦いをしながら相手がスーツを着ているということでどこか安心していたんだ。
 どんなに強く殴っても相手は怪我をしない。どんなに激しく椅子をぶつけても相手は怪我をしない。
 でも、ジュードーマンは生身?それって……、それって……、危なすぎるよ。
「どうした?デビイとやら。おまえのそのたこの八ちゃんはちょうど良いハンディーだ。さっさとかかってこないか。」
 ジュ、ジュードーマン。無理はしないで……。
 デビイの触手が突然勢い良く動き始めた。ひゅん、ひゅん、音を立てながらジュードーマンを、レディレイを、私を襲う。
 レディレイと私はそれを合図に硬直から抜け出してその攻撃を避ける。
 ジュードーマンは?
 私は触手をジュードーマンと反対側にはじき返してジュードーマンに目を走らせる。
 ジュードーマンは次々に襲ってくる触手を受け流し、かわし……力任せにはじき返すことは決してしない。
 ジュードーマン、最初っからずっとそうしていたの?私なんか攻撃の半分は力任せにはじきかえさないといけないのに……。
「はーっはっはっはっ。これがお前の全力か?」
 ジュードーマンがひょうきんなポーズで触手を避けながら言った。
 すっ、すごいよ、ジュードーマン。これなら、この動きならオリンピックに出ていれば絶対に金メダルだったのに……。
「言わせておけばぁ」
 デビイの顔が真っ赤になる。触手の動きが速くなりジュードーマンの足を頭を次々に襲う。
 でもジュードーマンはのけぞったり一歩踏み込んだりと最小限の動きでそれをかわす。ちょっと目にはデビイがジュードーマンに当たらないように攻撃しているみたいだ。
「それだけか?それなら今度は私から行かせてもらおう。」
 触手の攻撃をかいくぐったジュードーマンがデビイに猛然と突っ込んだ。
 がつん。
 あー、ジュードーマンが机に腰骨のあたりをぶつけて半身になってよろめいてしまった。
 危ない!ジュードーマン!
「はっ、ここまでや!」
 デビイの声が響く。
 そして……かちんと私の頭の中で音がしてすべての動きがスローモーションになった。私自身はまるでコールタールのプールを泳いでいるみたいだ。からだが思うように動かない。ううん、そうじゃない。からだの動きがひどくゆっくりしているんだ。
 ともかく早くジュードーマンを助けなくちゃ。
 そのとき私はジュードーマンが私を見ているのに気がついた。ジュードーマンは私の目をじっと見ている。そしてゆっくり振りかえってデビイの後ろの壁を見た。
 何?何が言いたいの?
 私はゆっくりと私を襲ってくるデビイの触手をやっぱりゆっくりと手で払いながらジュードーマンを見つめる。
 ジュードーマンは背後から襲い掛かるデビイの触手をふっとかがんでかわすと正面から襲ってくる触手を巴投げのように後ろに転げながら足で蹴り払った。
 しかし、そこを上から別の触手が叩きつけるように襲う。
 だめだ、ジュードーマン。これは避けられない。
 私は足元を襲ってきた触手を右に回って避けた。
 レディレイがゆっくりジャンプしてジュードーマンを叩き潰そうとしている触手に体当たりをしようとする。
 ちがう、ゆっくりに見えるだけだ。本当は強烈な勢いでダイブしているんだ。
 がつーん。
 レディレイがぶつかった触手は小さく波打って……レディレイの右腕に絡みついた。
 レディレイ!
 レディレイが左手で絡んでいる触手をはがそうとしているところに反対側から触手が襲ってきてレディレイの左足に絡んだ。
 ジュードーマンが起き上がってレディレイの触手を掴む。でも、そこを襲ってきたデビイの触手をまともに胸に受けてしまう。
 いや直前に後ろにはねのいて衝撃は最小限に食い止めたみたいだ。ジュードーマンはその触手にしがみついた。
 だめだ。別の触手がそれぞれ二人を狙っている。
 ぶん。
 その瞬間、私の視界がぶっとんだ。見えるのは前の方から迫ってくる一本の触手。
 私はそれを掴んでぐっとからだを引き寄せる。視界がますます狭まって正面からは壁、さっきジュードーマンが見ていた壁がものすごい勢いで迫ってくる。
 私は空中で身を翻すと迫ってくる壁を思いっきり蹴った。
 そう、私はジャンプしていた。ジュードーマンとレディレイに五本の触手が集まっていることに気がつく前にジュードーマンが見ていた壁に向かって大きくジャンプしていた。
 壁を蹴ってジャンプの方向を変えた私の前にはデビイの背中があった。そしてその向こうには触手に絡みつかれたレディレイとジュードーマンが見えている。
 一本の触手はレディレイの首に絡み付いているところで、もう一本はジュードーマンの足に向かって伸びていた。
 間に合うの?私は間に合うの?ううん、間に合って欲しい。間に合うしかない。
 デビイの背中が迫ってくる。私はそこに頭から思いっきりぶつかった。
 ぐがーーん。
 猛烈な音がして私ははじき返された。
 いったー。スーツがあっても流石に痛かった。私は頭を押さえて転がった。
 あ、世界が普通になってる。ちゃんと普通のスピードで転がる床が見える。よかったぁ。でもあれって一体なんだったの?
 ばちっ。
 何かがはじけるような音がする。
「おっ、お前。いつの間に……。」
 デビイだ。デビイの背中からその音はしていた。
 ばちっ、ばちっ。
 音がするたびにデビイの背中から生えている触手が脈打つ。
 そうだ。レディレイとジュードーマンは?
 私は慌てて二人を探した。頭を激しく打ってしまったせいか、どこに二人がいるのかがすぐには良くわからない。
 ようやく私が二人を捜し当てると、レディレイに絡んでいた触手はすでに力なく床に落ちていて、ジュードーマンを襲っていた触手はジュードーマンの横にある机に突き刺さっていた。
 よかった。間に合ったんだ。
「くっ、このデビイ。こんなことでは……。」
 ばちばちっ。
 一段と激しい音がしてデビイの背中が……いや、デビイ全体が激しく輝いた。
「ぐわーっ……。すみません。すみません、ごめんなさい紐……。」
 まぶしい光の中でデビイの声は突然途絶えた。
 そして光が収まるとそこには普通の制服を着たデビイが倒れていた。
 ううん、これはもうデビイじゃない。御歌雪子さんだ。
 私は芝田先生の方を振りかえった。芝田先生はこちらを見てこくりと頷いた。
 やった。やったよ、山元先輩。やったよ、間淵先輩。やったよ、早乙女君。
 みんなの仇は取ったからね。
 ううん、私が仇を取ったんじゃない。みんなで、みんなでやったんだよ。
 そうだよね、山元先輩、間淵先輩、早乙女君。  そうでしょ?芝田先生。


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