エピローグ そして、アヤコ

 う、うーん。私が目を覚ますと……ここは病院?
 私ってば病院のベッドに寝てるの?なぜ?どうして?
「目を覚ましたか。」
 え?芝田先生……だよね?物理の先生がなぜ病院に?
 私、どうしちゃったんだろう?なんだか頭がぼやーんとしてはっきり物が考えられない。
「おおっ、清川さんや。ハロー!ハロー!」
 げげっ、この声は……。
 私は恐る恐る声のした方を振りかえった。
 やっぱり山元先輩だぁ。ああ、なんだってこんなところに……。
 山元先輩ってのは……。あの、その……、恥ずかしいんだけど、うちの高校で「清川望ファンクラブ」っていう同好会の管理人をしている人で……。いや、別に変なことをするようなクラブじゃなくて応援とかしてくれてありがたいんだけど、ちょっと気恥ずかしくて……。
「いやぁ、清川さん。こんなところでいっしょになるなんて奇遇やね。って、あれ?なんで俺はこんなところで寝てんねん。」
 そうだよ、山元先輩。なんで病院なんかで寝てるの?そりゃまあ、私もなんで寝てるのかわからないんだけどさ。
「君達は喫茶店にいるところをガス爆発に巻き込まれたんだ。
 どうやら記憶が混乱しているようだが、身体には別状はない。すぐに退院できる、安心したまえ。」
 ええ?喫茶店?ガス爆発? それって一体なんのこと?
 私、喫茶店なんか行ってないよ。今日は……、あれ?はっきり思い出せない。そもそも今日って何月何日?
 ……全然思い出せない。これが記憶が混乱してるってこと?
「おおっ、二人で喫茶店って、もしかして俺と清川さんとデートしとったちゅうこと?」
 山元先輩がうれしそうに叫ぶ。
 私はおもいっきりぶるぶると首を振る。
 ないない。それはない。どんなに記憶が混乱したってそんなことはないって断言できる。
「いや、違う。山本君はその喫茶店でウェイターのバイトをしていたようだ。清川君の方は単なる客としてそこに行ったようだ。」
 山元先輩ががくーんと首を落とす。
「そうなんですか。残念やなぁ。」
 山元先輩は残念そうだけど、私はうれしい。
 そうだよ。山元先輩とデートなんかするわけないじゃないか。ウェイターだよ。ウェイターに決まってる。
 ……なんでそう思うんだろう?山元先輩のウェイター姿が頭に浮かぶようだ。
 ああ、そうか。忘れているだけで私は山元先輩のウェイター姿を知ってるんだ。
「あのー、私もその爆発に巻き込まれたんでしょうか?」
 山元先輩の反対側からその声が聞こえた。
 だれ?振りかえってみてみると……知らない人だ。誰だろう?でもきらめき高校の制服を着ている。ぱちんと揃えたきれいな黒髪で……うーん、うらやましいなぁ。私なんか塩素で髪がぼろぼろだからなぁ。
「ああ、君は御歌雪子君だね。そう、君も喫茶店に倒れていたんだ。」
 御歌さん?知らないなぁ。何年生なんだろう?
 御歌さんは頭に手を当てて激しく振った。
「先生、なんか私、転校してきてからのことが良く思い出せないんですけど。」
 芝田先生がこくりと頷く。
「ああ、大丈夫だ。記憶が混乱しているのは君だけじゃない。山本君や清川君も同様だ。」
 どこが大丈夫なんだよ。もう、芝田先生ってあいかわらずなんだから。
 あいかわらず?芝田先生ってこんなことをいう人だったっけ?そもそも私は芝田先生のことは良く知らない。授業以外じゃ顔を合わせないんだもん。
 ……そうだよね?うーん、記憶が混乱しているって不便だなぁ。
 がちゃっ。
 そのとき病室の扉を開けて誰かが入ってきた。
「おや、目を覚ましたようだね。」
 伊集院君?なぜ、ここに?
 伊集院君はきらめき高校の理事長の孫でとってもお金持ちで女の子にもてて……。
 でも、私はあんまり伊集院君のことは良く知らない。なんか、こうキラキラピカピカした人って苦手なんだ。
「安心したまえ、伊集院家誇る私設病院の最新の設備で診断し、君達に異常がないことは確認済みだ。今すぐにでも退院できるよ。」
 伊集院君が前髪をふぁさぁっと掻き揚げる。ううっ、相変わらずきざなポーズ。
 私設病院ってここのこと?そうか、ここは伊集院君の病院なのか。
 私はくるくると回りを見回した。
 別にキラキラもピカピカもしてないなぁ。流石にあの伊集院君でも病院の中は普通なのかぁ。
「そうでっか、そんなら俺と清川さんはデートの続きっちゅうことで……。」
「だからデートじゃないってば。」
 私はダッシュでベッドから跳ね起きて山元先輩に突っ込みを入れた。
 ベッドの上に身を起こしていた先輩は勢い良くベッドに倒れこんでぼよーんとまた起き上がった。
 思わず突っ込みを入れちゃったけど、私ってこんな性格だったっけ?
 くすくす、御歌さんの笑い声が聞こえる。
 はっ、私って何も考えずに飛び出しちゃったけど、ちゃんと服を着ている?もしかしてガス爆発でぼろぼろだったりする?
 私は慌てて自分の格好を確認した。
 よかった。大丈夫だ。制服はどこも破れていない。
「二人とも、ずいぶん仲がいいんですね。」
 そうか、くすくす笑ったのはそういうわけか。なーんだ、安心……してる場合じゃなーい。
「いや、実はそうなんや。」
「違ーう。」
 私は力を込めてじだんだを踏んだ。
 その様子を見て、芝田先生も伊集院君も御歌さんもみんな笑った。山元先輩まで笑っている。
 あー、みんなして私をからかっているんだぁ。
「おや、病院だというのにずいぶんにぎやかね。」
 その声は突然入り口の方から聞こえた。
「部長!」
 御歌さんがその姿を見て叫んだ。
 彼女は確か隣のクラスの……そう紐緒結奈さん。
 科学部の部長で……。うわー、噂通りの他人を馬鹿にしきった態度。成績が良いから先生も誰も逆らえないって聞いてたけど、本当なのかな?
「御歌さん、無事で何よりだったわね。」
 紐緒さんは私達を無視して御歌さんのベッドへ進んだ。
「部長。私、記憶があいまいで、あの何か部長に大切な用を言付かっていたような気がするんですけど……。あの、その……。」
 御歌さんの態度って部長と部員っていう感じじゃないよね。紐緒さんには部員も逆らえないのかなぁ。まあ、先生が逆らえないんじゃ生徒なんかとても逆らえないかもしれないけど……。
「ああ、あれならいいのよ。あなたは良くやってくれたわ。さあ、帰りましょう。」
 御歌さんは安心したように頷いた。
 そして芝田先生と伊集院君の方を向くとこう尋ねた。
「あの、私、本当に帰ってもいいんですか?」
 芝田先生と伊集院君がこくりと頷く。
「さあ、行くわよ。」
 紐緒さんがくるりと振りかえってすたすたと歩き始める。御歌さんは慌ててベッドから起き上がってそれに従う。
「そうそう、伊集院君。」
 紐緒さんが突然立ち止まって振りかえりもせずに言った。
「あなたのボディーガード、怪我をしたらしいわね。」
「ああ、たいした事はない。すぐに退院できるだろう。」
 伊集院君の声にとげがある。何かを怒っているんだ。一体何を怒っているんだろう?
「そう、それは良かった。」
 紐緒さんはそのまま御歌さんを従えて病室を出ていった。
 伊集院君はそれをぶすっとした顔で見送る。
 なに?どうしたっていうの?伊集院君。
「あのー、俺達も帰ってええですか?」
 それに気がつかないのか山元先輩がのんきにそう言った。
「ああ、構わないぞ。どんどん帰りたまえ。」
 うーん、帰れるのは嬉しいんだけど、そんな風に言われるとちょっと気になるなぁ。
 ガス爆発に巻き込まれたんでしょ?後で後遺症とか出たりしない?
「んなら、俺と清川さんはデートの続きっちゅうことで……。」
「だからデートじゃなーい。」
 私の強烈なパンチが山元先輩の右頬を捕らえた。

「って、いうわけなんだ。彩子。」
 学校からの帰り道、このあいだの事件について尋ねてきた彩子に私は細かくいきさつを説明した。
 もちろん、ベッドから飛び出して突っ込みを入れたとか、私のパンチをくらった山元先輩が機を失って大騒ぎになったとかいうところには触れなかった。
 それって当たり前だよね?
「ふーん。」
 彩子は気のないセリフを返す。
 なんだよー、自分から聞いてきたはずなのにずいぶんじゃない?
 無事だったんだから喜んでほしいなぁ。
「記憶はあいかわらず抜け抜けだけど、体調はばっちりだし、あんまり気にしないようにしようと思うんだ。」
「ふーん。」
 どうしたの、彩子?なんだかさっきから変だよ?
 私は彩子にそれを聞いてみようとした。
「ねぇ、望さぁ。前に望そっくりな人が水着で町で掃除したりしているって噂があったでしょ?あれって覚えてる?」
 私が口を開く前に彩子がそう言った。
 うーん、まあ、いいや。彩子が変なのは別に珍しいことじゃないし、またいつもの「スランプよー」とかいう奴かもしれないし……。
「え、噂?ああ、あれね。」
 実は私はその噂は覚えてなかった。あのガス爆発の後、何人かからそういう噂があった事を聞いたけど、みんなひどく及び腰だった。
 まあ、あんな変な噂で私が怒ると思ったんだろうけどさ。でも、なんなんだろうなぁ、あの噂って……。
「実は、彩子、正直良く覚えてないんだ。でもさぁ、きらめき高校って変な噂が多いじゃない?だから気にしないようにしようと思って。どうせでたらめに決まってるしさ。」
 変な人が多いからって説もあるけど、それは却下。
 まあ、確かにそういう気もしないでもないけど、やっぱりきらめき高校好きだからそういうのを認めちゃうのはちょっとね。
「そう言えば私、新しい噂を聞いたよ。ほら、彩子がクラブのときに着ているような白くて長い絵の具だらけの服があるでしょ?そんなのを着たピンクの髪の女の子がおばあさんの荷物を持ってあげたりコンビニにたむろしている不良中学生を撃退したって噂。本当にきらめき高校って変な噂が多いよね。」
 彩子が突然私の方をつかんでぐっと彩子の顔の前に私の顔を引き寄せた。
「ねぇ、望。本当に正直に答えて欲しいんだけど……。」
 ど、どうしたの?彩子。
 真剣な表情。何か心配事でもあるの?
 私は黙って頷いた。
 でも彩子は何も尋ねない。真剣な目で私をじっと見ている。
「ソーリー、ごめん。なんでもないの。」
 彩子は私の肩から手を外すと両手で頭を掻きむしった。
「あー、もう。ソーメニーストレス!」
 うわっ、どうしちゃったの彩子?今回のスランプってそんなに厳しいの?
 そのとき私は彩子が変な時計をしているのに気がついた。
 彩子らしくないだっさいデザインのピンクの時計。
「その時計どうしたの、彩子?あなたしてるにしては……ちょっとあんまりなデザインじゃない?」
 彩子の両手がぴたっと止まる。彩子はまた私の目をじっと見詰める。
「望、この時計知らない?」
 え?私、こんな時計知らないよ。
 知らないけど、もしかして、もしかして……。
「あのー、覚えてないんだけど、もしかしてそれって私のプレゼント。」
 だとしたら悪いことをしちゃったなぁ。
 でもいくら私にセンスがないからってあんなプレゼントしないと思うんだけど。
「ううん、いいんだ。なんでもない。」
 彩子はくるっと振るかえって走り出した。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。気になるじゃないかぁ。」
 私は慌てて追いかける。
 やっぱり私のプレゼントなのかなぁ。だったら外していいよって言わなくっちゃ。あれじゃあ、彩子があまりに可哀想だよ。
 私は慌てて彩子を追いかけた。
 速い。いつの間に彩子ってあんなに足が速くなったの?
「彩子ぉ、待ってよぉ。」
 私は本気で走って彩子を追いかけた。


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