第三章 間淵先輩の怒り

 早乙女君は私が保健室に担ぎ込んでも目を覚まさなかった。
 保健の先生はすぐに目が覚めるだろうって言ってくれたけど、私はすっごく心配だった。
 そりゃ、もともとは早乙女君が覗きなんかするのが悪いんだけど、私がやりすぎたことは間違い無いわけだし……。
 どこから聞きつけたのか芝田先生が保健室に来た。芝田先生は保健の先生と少し話をした後、早乙女君の脈を取ったり瞼を開いて目を見たりした。
 芝田先生って物理の先生だよね?それにしては随分手慣れているなぁ。保健の先生よりも詳しい感じで、手当てに関する指示まで出している。
「清川君、ここは先生に任せて授業に戻りなさい。安心しなさい。先生は医師の免許も持っている。早乙女君はすぐに良くなるから。」
 え?医師の免許?ってことは芝田先生はお医者さんってこと?
「ほら、もう次の授業は始まっているぞ。その格好だと次は体育じゃないのか?」
 早乙女君のことは心配だけど、ずっと側についているのは確かに変だし、私はしぶしぶ授業に戻った。いつもなら楽しみな体育の授業だけど、今日はなんだか気乗りがしなかった。
 それに何かひっかかるんだよね。覗きをしていたときの早乙女君の様子も変だったけど、それだけじゃなくて何かが私の頭の中でひっかかってもやもやした感じがする。一体なんだろう?
 体育が終わった後も昼休みも早乙女君は目を覚ましていなかった。
 芝田先生も授業に戻っていたけどその前に注射したり本格的な治療をしていったって保健の先生が教えてくれた。
 でもいくらなんでもこんなに長く気を失っているなんて変じゃない?もしかするともう早乙女君は目を覚まさないかも……。あー、私ってばなんてことをしちゃったんだろう。
「3年A組の間淵睦美さん、3年E組の山元但さん、2年C組の清川望さん、芝田先生がお呼びです。至急、保健室に集まってください。」
 その放送が入ったのは5時間目の終わり近く、早乙女君のことが心配でもう泣きそうな気分のときだった。
 よかった、早乙女君。目を覚ましたんだ。私は席から飛び出すと先生に挨拶をするのも忘れて廊下に飛び出した。
 よかった。本当に良かった。一時はもうどうなることかと思っちゃったよ。
 あれ?でもなんで山元先輩や間淵先輩まで呼ばれているんだ?ま、でも良いか。ほら、保健室はもう目の前だ。あれ?
 保健室の前には芝田先生と山元先輩たちが立って何か話していた。先輩たち3年はここ、保健室のある本校社に教室があるから私より早くついたのは分かる。でもなんで外で話しているんだろう?早乙女君は目を覚ましたんじゃないの?
「来たか、清川君。」
 私が走る音に気がついて三人はこちらを振り向いた。
 別に悲しそうな顔はしてないよね?じゃあ、一体なんで廊下でなんか話してるんだろう?
「今、山元君たちには説明したが、清川君、君にはこれから保健室に入って早乙女君と話してもらう。」
 良かった。やっぱりちゃんと目を覚ましたんだ。芝田先生、あんまりもったいつけないでよね。
「ただし、余計なことは一切言わないように。ただ、彼と会話を合わせるだけにすること。いいね?」
 なにそれ?それってどういう意味があるの?
 私がそれを聞こうとしたとき、芝田先生は先輩たちに向かって話し掛けた。
「さっきも言ったように君たちは後ろの方から早乙女君を観察すること。いいか、しっかり様子を見ておくんだ。」
「はあ。」
「まあ、分かりましたけど。」
 先輩たちも納得できないようだ。
 よし、やっぱり聞こう。
 私が口を開きかけたとき、芝田先生は保健室のドアを開けた。
「よし、来なさい、清川君。」
 もう、タイミングが悪いなぁ。でもまあ早乙女君の様子を見てから聞けば良いか。
 私は芝田先生に続いて保健室に入った。山元先輩たちがその後に続いて入って、入り口のところに立ち止まった。
 保健の先生はいない。どうしちゃったんだろう?芝田先生が頼んで席を外してもらったのかな?
 芝田先生はベッドの周りを囲っているカーテンをさっと開けた。中では早乙女君がお弁当を食べていた。誰に届けてもらったんだろう?
「あっ、清川さん……。」
 早乙女君は私の顔を見るとお弁当を落としそうになった。
「お、おぉっと。」
「大丈夫?早乙女君。」
 早乙女君はお弁当を横の机の上に置くと、ベッドの上に正座した。
「ごめん、清川さん。俺、覗きしちゃったんだって?」
 え?何?早乙女君ってば何を言ってるの?
 私の顔を見た早乙女君が芝田先生の方に尋ねるような顔を向けた。
「先生、説明してくれなかったんですか?」
 芝田先生は首を振って、自分で言いなさいと早乙女君に言った。
「実は俺、全然覚えていないんだ。ここしばらくの記憶もちょっとあやふやでさ。」
 ええ?それってマジ?
「芝田先生がいうにはどこかで変なガスでも吸って気分が朦朧として女子更衣室に入っちゃったんじゃないかってさ。」
 早乙女君がぼりぼりと頭を掻いた。
「いや、でも申し訳ない。覚えていないとは言え、許されることじゃないよね。」
 その時、後ろからあっという声が上がった。山元先輩だ。
 振り替えると山元先輩が早乙女君の方をじっと見詰めている。いったいどうしたというの?
 私が早乙女君の方にもう一度振り替えると、早乙女君は頭に手を当てたポーズのまま硬直している。
「清川さん、彼らって清川FCの人たちだよね?なんで彼らはここに来てんの?」
 なんでって早乙女君、それは……。
 その時、私は山元先輩が叫んだ理由が分かった。山元先輩が見ていたのは早乙女君の顔じゃない。左手だ。
「まさか、連中、俺が清川さんの着替えを覗いたからってリンチする気じゃ……。」
 私は早乙女君の言葉なんか聞いていなかった。早乙女君の左手をじっと見詰めていた。そこにはそこにあるべきノゾミウォッチ、いや早乙女君のは頭巾ウォッチが無かった。
「ねぇ、清川さん。それは誤解だって彼らに言ってくれないかなぁ。」
 呆然としている私の代わりに芝田先生が何か言っている。
「行こうか、清川君。」
 私はただ黙ってうなずいて芝田先生について早乙女君の前から去った。私の後ろ姿に早乙女君が叫んだ。
「ごめん。本当にごめんね、清川さん。」
 扉の前にいた先輩たちといっしょに私たちは廊下へ出た。先生が扉を閉めるとそれを待っていたように山元先輩が叫んだ。
「先生、早乙女の奴、いったいどないしたっちゅうんですか?それに、それに……。」
 芝田先生は手を左右に振って山元先輩の話を止めた。でも、聞かなくても続きは分かった。ウォッチはどうなったのかを聞きたかったのに決まっている。
「ここじゃ話はできない。応接室に行こう。」
 応接室は保健室の二部屋先、校長室の隣だ。
 芝田先生は無造作に応接室の扉を開けるとどんどん中に入っていき豪華なソファにどっかり座った。
「入ってきなさい。今日は校長は外出している。ここなら誰にも話は聞かれない。」
 山元先輩たちは居心地が悪そうだ。普通、まず入ることがない部屋だし調度品も妙に豪華だしそれも当たり前だと思う。私は水泳の取材なんかでたまにこの部屋に入ることがある私もやっぱり少し居心地が悪かった。
 私たちは芝田先生の反対側の三人がけのソファーにならんで座った。芝田先生のように背もたれにどかっとよっかかる姿勢ではなくて、ちょこんと浅く腰掛けるような感じだ。
 山元先輩にもさっきまでの勢いはなくなっている。なんだかこの部屋に気勢を殺がれてしまったみたいだ。
「さあ、まず君たちが早乙女君を見て感じたところを述べたまえ。」
 うっ、なにこの試験みたいな口調は……。私たち三人は顔を見合わせた。みんな同じことを感じていたみたいだ。
 先輩、お願い。私は山元先輩に目で合図を送った。反対側からは間淵先輩がカメラで合図を送っている。いや、良く分からないけど私にはそう見えた。きっと山元先輩にもそう見えたんだろう。先輩は頭をばりばり掻いて大きなため息を吐いた。
 らっきー、山元先輩、男だね。
「えーとですね。まず、早乙女は外せへんはずの頭巾ウォッチをしてませんでした。」
 え?取れないはず?私は水泳中とか外してるけど?
「次に、早乙女はウォッチをしてへん件に関してなんも言いませんでした。もしかするとキラメキマンのことを全部忘れてもうとるんやないでしょうか?」
 そうそう、まさにそういう感じ。やっぱり山元先輩なかなかやるなぁ。
 芝田先生も感心したのかうんうんうなずいている。
「こんなとこやと思います。」
「そうだな。満点といって良いだろう。」
 満足そうな芝田先生には申し訳ないけど、私は一つ気になることがあった。
「あのー、先生、いいですか?」
 私は授業中のようにおずおずと右手を小さくあげた。
「はい、清川君。」
 あー、もう芝田先生も乗りやすいんだからぁ。いや、もしかすると職業病?
 そんなことはどうでもいい。私は聞きたいことを聞くんだ。
「あのー、ウォッチが外せないって先輩が言ってましたよね?私のは外せるんですけど?」
「なに!」
「うそや!」
 すぐ横から上がった大声に私はびっくりしてソファーから転げ落ちそうになった。
「ちょう見せてみい。」
 山元先輩が私の左手を強く握った。
「なにすんだよ!」
 私は思わず山元先輩の顔面にストレートパンチを入れてしまった。我ながら腰が入った良いパンチだ。
 一方、腰を浮かせて不安定な姿勢だった山元先輩は後ろから身を乗り出していた間淵先輩もろともソファーの向こうへ吹っ飛んでいった。
「う、ウオッチが外れるかどうか確かめようとしただけやんかぁ。」
 山元先輩が情けない声を出す。でもそれはまだ良い方だ。山元先輩の下敷きになった間淵先輩なんか声も出ないみたいだ。
「そんなこと一言言ってくれれば見せてあげます。ほら……。」
 私は左手からウォッチをあっさり外した。普通の時計と同じにベルトで止めているだけなんだからあっさりもなにも簡単に外せて当たり前だ。
 ソファーの向こうで間淵先輩の上に倒れこんだままの姿勢で山元先輩は硬直した。
 先輩、それはあまりに間淵先輩がかわいそうだよ。ほら、山元先輩が硬直した分、全体重が間淵先輩にかかって、あー、もう息もたえだえ。
「どういうことなんです、先生。」
 山元先輩は勢いよく起き上がって今度は芝田先生に詰め寄った。その足元で間淵先輩は腹を押さえて転がりまわっている。どうやら山元先輩が起き上がるときに間淵先輩のお腹に思いっきりひじが入ったらしい。
「なんで清川さんのウォッチだけ外れるんです。」
 山元先輩は間淵先輩のことなんかちっとも気にかけずに芝田先生に詰め寄る。
 先輩、それってあまりにも友達甲斐がないんじゃない?
「安心しろ、イエローのも外れる。」
「いやー、そりゃ良かった……。ってそういう問題やないでしょう。」
 山元先輩はよっぽど悔しかったのかじだんだを踏んだ。そしてその拍子に間淵先輩の足を思いっきり踏んでバランスを失って倒れた。
 ううん、倒れただけじゃない。倒れざまに間淵先輩の胸に思いっきり掌底をぶち込んでいた。
 山元先輩、もしかしてさっきからわざとやってない?
「ともかく、山元君、間淵君、早乙女君のウオッチは清川君のと違って外すことができないような仕様になっているというわけだ。」
 のた打ち回る間淵先輩をきっぱり無視して芝田先生は私にそう言った。まあ、間淵先輩だって山元先輩のボケにたいする突っ込みとしてそうしているってところもあるんだろうけど……。
 間淵先輩の体を一方的に勝手に張ったギャグが通じなかったのがよっぽど悔しかったのか、はたまたここで妥協するとギャグにならないと思ったのか山元先輩が倒れたままそれに答えた。
「仕様ですかぁ。それやったら、しょうがあらへん……。なんちゅうことがあるかい!」
 あー、もう。べたべたってのはこういうギャグ?
 本当はしょうもないギャグって言いたいところだけど、そういうと私も仕様をネタにギャグを飛ばしているみたいなんで止めておこう。
 芝田先生は私のそういう内面の葛藤に気がつかずに山元先輩に向かって答えた。でも、まあ普通は気がつかないよなぁ。
「もしウォッチが外せたら君たちの場合は無くすかもしれないし、第一、二度と付けないだろう?しかし清川君の場合はそういう心配がない。これで説明になっているかね?」
 先生にずばっと言われて山元先輩は二の句が告げなかった。いや、もうたくさんしゃべったというかギャグを飛ばしていたけどともかく次の言葉が出なかった。
 そりゃそうだ。芝田先生の言ってることは正しいもの。私はウォッチが外せるからと言って二度と付けなかったりは……。あれ?あっ、そうかぁ。そういう手があったんだ。
 私はがっくりと頭を落とした。もしかして私ってばか?前から時々そうじゃないかと思ったりしたんだけど、もしかして、もしかして本当にばか?
 今度の心の葛藤はあっさり山元先輩に見抜かれてしまったようだ。山元先輩が私の肩をぽんと叩いた。
「気持ちは分かるで、清川さん。」
「貴様なんかに何が分かるかぁぁぁ。」
 私は両方の手のひらで山元先輩のみぞおち当たりをどーんとついた。ずいぶん前に彩子の家で遊んだテレビゲームで中国人の女の子が出していた技だ。確かはっけいって名前だけどどういう漢字かは分からない。まあ、八景ではないと思うけど……。
 ともかく、見よう見まねの割には威力があったみたいだ。山元先輩の体は一瞬宙に浮いて間淵先輩の向こうに吹っ飛んでいった。
 仇は取ったからね、間淵先輩。それに私の気も結構晴れたみたいだ。
「どつき漫才はそのくらいにしていてもらえるかね。」
 先生、それはあまりに実もふたも無いよ。
 でもこんなことをしている場合じゃないのも本当だ。今は早乙女君のことを話さなくっちゃ。
「山元君の状況分析は正確だ。さて、ここで問題なのはなぜそういう状況に陥ったかだが……。」
 芝田先生が私たち三人をじろっと見渡す。授業のときと同じ、わかるかいと尋ねている視線だ。
 となると話は簡単。私も授業のときと同じように先生に目を合わせないようにした。先輩たちも視線に気がつかないような振りをして床から起き上がってソファーに座り直した。
 後は授業と同じ展開、誰も答えないのに慣れきっている芝田先生は勝手に話を続けた。
「ではまず結論から言おう。早乙女君は敵と戦闘して敗れ、ウォッチを奪われ、さらに記憶も消されたということだ。」
「やっぱり」
 私たち三人は同時にそうつぶやいた。そうか、先輩たちもそう思っていたのか。そうに決まってるよね。
 芝田先生がじろっと私の方を見た。え?なに、うそ!もしかして分かってたのなら言えってこと?そんなぁ、授業中はそんなこと言わないじゃない。そりゃ私だって授業中はやっぱりなんて言わないけど、それはそう思うことが無いからじゃないか。
「清川君は知っていると思うが、早乙女君は今日デビイに挑戦した。」
 え?私が知ってる。あっ、そうだ。私は知ってる!今朝、今朝……。そうだった。どうして今まで忘れていたんだろう?
「ほんまか?」
「デビイはこの学校の生徒だったんですか?」
 おおっ、間淵先輩ってば久しぶりの発言。ちゃんとしっかり復活したんだ。
「ああ、先月金沢から転校してきた御歌雪子、通称デビイがデビイの正体だ。」
 芝田先生は白衣のポケットから写真を取り出した。正面からの写真なので竜虎の刺繍は写っていないけど例の赤いコートを着たデビイの写真だった。
「うーん、言われてみたら似てへんわけでもないような気もすんなぁ。」
 山元先輩がのんびりしたことを言う。
「何言ってんですか。彼女に間違いありません。今朝、早乙女君を挑発して、彼女に挑戦するって早乙女君が言って、そのせいで彼はウォッチを取られて……。」
 あー、もう自分でも何を言っているのか分からない。
「落ち着け、清川君。
 いいか、山元君。清川君が言いたいのはこういうことだ。
 今朝、早乙女君は御歌雪子君を見かけて彼女がデビイであると確信した。学校まで追跡してきたところで清川君に出会い、彼女にその旨を告げて彼はデビイと対決に向かった。
 そうだね?清川君。」
 私は黙ってこくりとうなずいた。
「で、その後、早乙女の奴はデビイにあんな目に合わされたちゅうわけですね?」
 私と芝田先生は黙ってこくりとうなずいた。
「あんの野郎、って女やから女郎ぉぉ。こうなったら早乙女の復讐戦や。ぼこぼこのぎったんぎったんのしっちゃかめっちゃかのぱいぽぱいぽのちゅーりんがん……。」
「落ち着け、山元」
 間淵先輩が山元先輩をなだめる。
 どうも山元先輩はギャグを飛ばそうと思ったのにあまりに怒りがはげしすぎてギャグになりきれなかったらしい。そもそもなんでこんなところでギャグを飛ばそうとするのかが分からないけど先輩は先輩なりに早乙女君のことを考えているのだということは良く分かった。
「よっしゃ分かった。落ち着いた。ちゅう訳で、今からデビイ退治にレッツゴー。」
 あー、もう何が分かってるんだか。私と間淵先輩は両脇から山元先輩を押えにかかった。
「証拠はどこにある?」
 私たちの押えよりも芝田先生のその一言の方がずっと効果的だった。山元先輩はその言葉を聞くとぴたっと大人しくなった。
「証拠?一体何の証拠ですか?」
 山元先輩が不満そうに芝田先生に尋ねた。
「御歌雪子君がデビイで彼女が早乙女君をああしてしまったという証拠だ。」
 芝田先生はなんの感情も込めずにそう言った。反対に山元先輩はその一言で再び怒りが爆発してしまった。
「そんなんもともと芝田先生がいうたんやないですか。おまけにこんだけそっくりやったらもう間違いありませんって。」
「落ち着け、山元!」
 珍しく芝田先生が大声で叫んだ。山元先輩もこれにはさすがに驚いて大人しくソファーに座り直した。
 その山元先輩に向かって芝田先生は語り掛けるように話し始めた。
「いいか、山元君。私が今説明したのはすべて推理ならびに状況証拠に過ぎない。我々の元には何の証拠も無い。」
 芝田先生はそこで一息ついた。山元先輩の顔を挑むように見詰める。
「今朝、早乙女君は御歌雪子君を見かけてすぐに私に連絡してきた。彼女がデビイに間違いないと。そしてその時も私は言った。証拠が無いと。」
 そうだったのか。それで今朝早乙女君は証拠にこだわっていたのか。
「早乙女君も山元君同様、そっくりだから間違いないと言っていた。それに対して私はこう答えた。
 町で善行を重ねるキラメキマンは君にそっくりな別人ということになっているんじゃないか?それなのにその君がそっくりだというだけで御歌雪子君をデビイだと決め付けられるのか?」
 そりゃ確かにそうかもしれないけど、わからないでもないけど、やっぱりそれって何か違うような気がする。
「でも、先生。それはそれ、これはこれっちゅうことわざがあるやないですか。」
「そんなんあるかぁ。」
 っていうのは私の声だ。芝田先生は山元先輩のぼけをまるで無視。だから本来なら両側から突っ込まれるはずの山元先輩は運良く私の分しか受けなかった。ラッキーだね、山元先輩。
 そりゃ、勢いで打ちおろし気味のフックを思いっきりテンプルに叩き込んでしまったけど、そういうことってあるよね。山元先輩も一瞬硬直した後、膝から崩れ落ちちゃったけど、そういうこともあるよね。
 ねっ、山元先輩。
 ……でも山元先輩はまるで復活する様子がない。たっ、たいしたことないよね。ちょっと長めにボケを飛ばしているだけだよね。
 山元先輩はぴくりともしない。もしかして本当にやばい?やっぱり急所への一撃はちょっとやりすぎだった?でも、でも……。
「山元先輩?」
 相変わらず返事がない。えーと、これってもしかしたら……。
「先生、俺に任せてくれませんか?」
 私が慌てて山元先輩の様子を見ようとかがみこんだその時、間淵先輩はそう言った。
 もしかして、間淵先輩がなんとかしてくれる?
 と思った私の期待は甘かった。間淵先輩は芝田先生の前に進み出てこう言った。
「俺がデビイの正体を暴いて見せます。それからならいいんでしょ?芝田先生」
 そんなことはどうでもいいでしょ。問題は山元先輩……じゃなくて、早乙女君をあんなにしちゃったデビイなんだっけ。そう、そうよね。山元先輩なんかどうせギャグが通じないとわかればきっと復活するだろうし、今はデビイのことよ。
 私は山元先輩に差し出しかけていた手を引っ込めて立ち上がった。山元先輩はそれを確認するとちっと言って立ち上がった。
 ほーら、何か良からぬことを期待していただけで本当は大丈夫だったんじゃないか。
「お前にできるのか?間淵」
 芝田先生の声には露骨に無理だろうというニュアンスが感じられた。まあねぇ、これだけ目立つ間淵先輩にスパイ地味たことはできるわけないよねぇ。
 私が不信の目を間淵先輩に向けると……。どうしちゃったの?間淵先輩。いつもは山元先輩に付き合って関西芸人乗りなのに今日はやけにシリアス。もしかして、怒っている?もしかして、早乙女君があんな目に合わされたことを怒っている?
 そりゃ、私はすごく腹が立ったけど間淵先輩って普段そういうタイプじゃないし……。
 でも、これはやっぱり怒っているよね。もしかして間淵先輩って早乙女君に気がある?
 なんてことはやっぱりないよね。間淵先輩、本当に怒ってるんだ。本当に、本当に怒っているんだ。
「任してください。俺には必殺技があるんです。ほら。」
 と言うと間淵先輩はいつも顔の前に構えているカメラを下ろした。
「おおっ、間淵?どこへいったんだ?おーい、間淵ぃぃぃぃ。おや、はじめまして。私、山元と言います。」
 ちっという声を漏らした後も、ううん、漏らしてしまったからこそそのまま倒れていた山元先輩ががばっと起き上がってそう言った。
 なーいす、山元先輩。やっぱり予定調和のギャグってのは基本だよね。……って、間淵先輩ってこんな顔をしていたのかぁ。なんか、カメラを構えていないだけでぜんぜん別人だぁ。
「お約束をありがとう、山元。だがこれなら気づかれずにデビイを探れると思わないか?」
「ああ、これやったら完璧。鉛筆入れんのはカンペン。間は寛平やぁ!な、先生。」
「危険だぞ、間淵。」
 芝田先生ってば相変わらず山元先輩のギャグには冷たい。でもまあ、そんな余裕はないからそれはそれでしょうがないけど。
 あれ?間淵先輩。なんか顔が青くなってきたんじゃない?それになんだか汗が流れているような気が……。
「ですが、先生。この中で面が割れていないのは俺だけです。これは俺にしかできないことです。」
 うん、うん。確かに面は割れてないよね。私なんか面が割れてないってことに気がつきもしなかった。もう、カメラが間淵先輩の顔だと信じ込んでいたって感じだよね。
「繰り返すが危険だぞ。」
 シリアズだなぁ、芝田先生。なんか、間淵先輩と二人で違う世界を作っているみたい。山元先輩なんか一人で浮きまくってなーんにも言えなくなっちゃったみたい。口をあけたり閉じたりしながら人差し指を伸ばした手を振り回している。
 間淵先輩は芝田先生に向かってこくりと頷く。
 でも、本格的に顔色が青いしもう汗は滝みたいだよ。ど、どうしちゃったの?間淵先輩。
「間淵。無理せずにカメラを元に戻せ。」
 芝田先生のその声を合図に間淵先輩はカメラをびーんと……、ううん、しゅぱっと……、ううん、それもちがうなぁ。とにかく機械みたいに一瞬でカメラを顔の前に戻した。そして、ため息にしては部屋中に響く大きな音でふぅと一息ついた。
 間淵先輩、それってもしかして禁断症状?
「で、間淵。お前は何分カメラを構えずにいられるんだ?」
 芝田先生のその質問を聞いて山元先輩の顔がぱあっと明るくなった。さては突込みどころを見つけたんだな。山元先輩、前からそうだと思っていたけど、本当に、本当に友達甲斐がないね。
「三分ってとこですね。でもなんとかしますよ。」
 こともなげにってのはこういうことなんだろうなぁ。間淵先輩はそんな重要なことを本当にたいしたことがないようにそう言った。カメラ越しなので良くわからないけど決然としたまなざしって奴なんだろうなぁ。きっと。
 その表情を見た山元先輩は……、って見えてないよね。でも私と同じことを感じたらしい山元先輩はギャグを飛ばすのを止めて間淵先輩の肩をがつんと叩いた。
「頼むぞ、間淵。」
「繰り返すが、危険だぞ。」
 すごくゆっくりとため息をついた芝田先生がそう言った。
 そう、そうだよね。やっぱり間淵先輩ってどこか頼りないし。
「まかせてください。」
 私がこんなに心配しているのに間淵先輩はそう断言すると一人で部屋を出ていった。
 本当に大丈夫なのかなぁ。三分じゃ何もできないと思うんだけど。


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