第二章 好雄の怒り

 はあ、はあ、はあ。うーん、少しは気がすんだかな?いや、だめだ。全然、気がすまない。山元先輩達が捨て駒にした須々木先輩なんていくらぼこぼこにしたところで全然気なんか晴れない。
 とはいえ、ちょっとやりすぎちゃったかな?須々木先輩はぼこぼこというより真っ白な灰って感じだし、ひょっとしたらもう復活できないかも……。でもまあ、私が悪いんじゃないし正当防衛って奴だよね。
 くっそう。こうなったらもう早乙女君を捕まえてぼこぼこのぎたぎたのべこべこのぼこぼこの……。あっ、向うから走ってくるのは早乙女君!飛んで火にいる夏の虫、雉子も鳴かずば射たれまい、鳴かぬなら殺してしまえほととぎす。最後のはちょっと違うような気もするけど、ともかく早乙女君、この怒りのやり場は君に決まりだぁぁ。
「ちょーっと待ったぁぁ。」
 私は早乙女君の進路にどーんと立ちはだかった。
「ああっ、清川さんいいところに!」
 なんだそりゃ。私の頭は沸騰したヤカンと言うかドライアイスをしこたま投げ込んだコップと言うかとにかくもう爆発寸前だった。
「なにがいいところなんだ!早乙女君、昨日の君の手帳、あれねぇ……。」
「わかった。それは悪かった。でもそれどころじゃないんだ。」
 なにぃ、それどころじゃない?そんな言い訳が通るとでも……、でも顔がマジだな。こんなにマジな顔の早乙女君は初めて見た。もしかして、本当にそれどころじゃないような大事件でも起きたの?
「ほっ、ほら清川さん、あれ!」
 早乙女君が指差す方向には……、何もないじゃないか。ただ登校してくる生徒たちがいるだけ。あれ?その中の一人の女の子がこちらに向かって手を振ってる。あれは、誰だっけ?
 ぱちんと揃えたきれいな黒髪で……うーん、うらやましいなぁ。私なんか塩素で髪がぼろぼろだからなぁ。
「おはよう。清川さん。元気そうで安心したわ。」
「おっ、おはよう。」
 本当に誰だっけ?全然覚えがないんだけど…。
「おっ、お前なぁ。」
「あ、早乙女君。あんたも元気そうでなによりやわ。」
 うっ、なんだか険悪な雰囲気。早乙女君が女の子にこんな態度を取るなんてすっごく珍しい。どうしちゃったんだろう。あっ、もしかして早乙女君が女好きでなくなったってのが大事件?
「ほな、また後で。清川さん。」
「うん、じゃあ、また。」
 その女の子は私たちに背を向けると昇降口に向かっていった。
「ねぇ、早乙女君。今の子、誰だっけ?」
早乙女君はぶすっとしてその子の後ろ姿を見送っている。
「先月、金沢から来た転校生で御歌雪子さん。通称デビイ。」
ふーん、流石に早乙女君、女の子のことは詳しいなぁ。でもやっぱり、知らない子だ。なんで私に挨拶をしたんだろう。あれ?デビイ?どこかで聞いたような…。
 私は御歌雪子さんの後ろ姿をまじまじと見つめた。ぱちんとそろえたおかっぱで、うへっ、何て趣味なの…。竜虎の刺繍が入った真っ赤なコートなんか着ちゃってさ。うん?こんな趣味の人、どこかで見たような。えーと、どこだったっけなぁ。
「あー、もう清川さん。まだわからないの?デビイだってば。デビイ!」
私の頭の中に趣味の悪い白衣を着てすっごく大きいサングラスを掛けたデビイの姿が浮かんだ。デビイと言っても今、会ったデビイじゃなくて、この前、喫茶キラメキマンで会った……。そうじゃない。この二人は同一人物だ。絶対にそうだ。間違いない。だってこんなにそっくりなんだもん。
 私はデビイの後ろを追い掛けた。
「待て、デビイ。」
 後ろから早乙女君が追い掛けてくる。
「だめだ、清川さん。待つんだ。」
 早乙女君はジャンプ一番、私の腰にタックルしてきた。うん、腰の入ったいいタックルだ。でも、こんなことで止められる清川望じゃなぁぁい。私が平手でハンドオフすると早乙女君はべしっと地面に叩き付けられた。
「だめだ。清川さん。」
 早乙女君を振りきったはずの私の足がぴたっと止った。叩き落されたはずの早乙女君が私のスカートをしっかりと掴んでいるからだ。
 もちろん、そんなことを無視して走ることは私には簡単だ。でもそうなるとスカートが……。
「冷静になるんだ。清川さん。なんの証拠もないんだから、今彼女をどついたりしたらそれこそ清川さんが……。」
 私は早乙女君の手を払い除けながら早乙女君に向かって言った。
「証拠も何もデビイに間違いないじゃないか。だって、あんなに、あんなに……。」
 私がデビーの方を指し示すと、そこには私の方を向いてにやにや笑っているデビイの顔があった。それを見たとたん私は冷静になった。そう、あれは勝利を確信している顔だ。早乙女君がいうように今私がデビイをどついたら私の方が一方的に悪者にされてしまうだろう。
 私が冷静になったのが分かったのかデビイがこちらに向かって歩いてきた。
「どうしたん、清川さん。私に何か用があるんじゃないん?」
 くっそー、こいつデビイに間違いないのに……。
 そのとき、早乙女君が起き上がって私の前にすっと進み出た。
「御歌さん、ちょっと聞いてもらえるかな。」
 早乙女君の声は冷静だった。でも、それは表面だけ。私をとどめるために私の前に差し出した手の指先は細かく震えている。それに第一口調がいつもと全然違う。
デビイにもそれがわかったんだろうな。デビイはにやにや笑いをあからさまに皮肉っぽいにやにや笑いに変えて、あからさまに皮肉っぽい口調で言った。
「なにー?一体何の話?」
 くっそー、余裕があるなぁ。あっ、いや、違う。これは挑発しているんだ。なんて汚い。昨日のやり口も汚かったけど、今日のやり口も負けないくらい汚い。
「俺はね。昨日、生まれて初めて女の子を殴ったんだ。」
 うわっ、声が震えてるよ。生まれて初めてだって?まあ、女好きの早乙女君だから殴られることはあっても殴ることはないって感じだけどやっぱりそうだったんだなぁ。
「ふーん、そうなん?妹の優美ちゃんとしょっちゅう取っ組み合いの喧嘩をしとるって噂やけど?」
 なーにをくだらないことを……。あっ、これも早乙女君の動揺を誘う作戦?
「あいつはいいんだ、妹だから……。それにどっちかというと俺の方が一方的にやられてるしな。」
 内容は情けないけど口調は冷静だな。デビイの挑発は不発だってこと?でも、これだと追い討ちが来るよ、きっと……。
「へー、優美ちゃんが聞いたら……。」
 ほーら、来た。でも早乙女君はデビイの答えを無視してしゃべり始めた。
「俺は昨日まで女の子を殴るなんて事は一生ないと思っていた。でも昨日は殴ってしまった。それも自分の意思ではなく、他人から強制されてだ。」
 デビイが露骨に嫌な顔をした。うーん、早乙女君がデビイの言葉を遮ったから?それとも早乙女君がデビイの期待した通りの反応を締めさなかったから?
「俺は女の子なんか殴りたくなかった。殴ってしまった自分自身に猛烈に頭に来た。そしてそれ以上に俺に殴らせた奴に猛烈に頭に来た。」
 デビイの顔ににやにや笑いが戻ってきた。でもこれは余裕のにやにや笑いじゃない。楽しんでいる笑いだ。デビイ、あんたって人は……。
「だから、俺は決めた。そいつに、俺に女の子を殴らせた奴に、絶対に、絶対に後悔させてやると……。」
 さ、早乙女君、かっこいい。ううん、言ってることはたいしたことないんだけど、なんていうか、その……、とにかくかっこいいよ。言うときは言うね。早乙女君。
 デビイの顔に失望が浮かんだ。表情自体はにやにや笑いのままだけど、顔のあちこちに内心の失望が見えている。デビイはきっと早乙女君のことを見損なっていたんだ。ううん、デビイだけじゃない。私も見損なっていたかもしれない。早乙女君って女好きは女好きなんだけど、一本筋が通った女好きだったんだ。
 ……でも良く考えてみると女好きなことに違いがないな。デビイは見損なっていたかもしれないけど、私は正しく見ていたんじゃないか。
「ふーん、早乙女君、意外に男気あるやん。」
 皮肉っぽいけど、素直な感想だ。デビイも今、早乙女君を挑発するのはあきらめたのかな?でも、すると、今度は私の番?ちょっと待ってよ。私には早乙女君みたいに冷静に対処できる自信がないよ。
「そら楽しみやわ。私もあんたの復讐が成功するよう祈っとるわ。」
 デビイはひらひらと手を振って昇降口の方へ歩いていった。ほっ、私の番にならなくて良かった。
 早乙女君がくるっと私の方を振り返って言った。
「と、いうわけだから清川さん。」
 うわ、早乙女君、マジな顔。でも、そういうわけってどういうわけ?
「デビイのことは俺に任せてくれるね?」
 そうか、早乙女君はデビイに宣戦布告してデビイはそれを受け入れたんだ。
 私はまじまじと早乙女君の顔を見つめた。うん、やっぱりマジな顔だ。でも、本当に任せて大丈夫なんだろうか?顔はマジでも行動がそれに伴うという保証はないわけだし、それどころかマジに行動した早乙女君が役に立つかどうかも全然当てにならない。
「うっ、うん。」
 ああっ、早乙女君の勢いに押されてうっかりうなずいてしまった。でもデビイは私の手におえるかどうか分からないし、ここはやっぱり早乙女君に任せてみようかな。
「じゃ、そういうことで俺は行くから……。」
 早乙女君はびしっびしっという感じで去っていった。歩き方にも決意が現れているなぁ。でも、ちょっと待って?何か大切なことを忘れていない?うーん、なんだっけかなぁ。あっ、そうだ。
「ちょっと待った。早乙女君!」
 早乙女君がくるっと振り返る。
「なんだい。清川さん。」
 ちょっと気取った返事が返ってきた。さては少し自分に酔っているな?でも、今大切なのはそんなことじゃない。
「昨日のメモ帳のことだけど……。」
 早乙女君の顔がさっと青ざめる。顔中に汗が一斉に流れ出す。さてはすっかり忘れていたな。まあ、私も忘れていたけどさ。
「まっ、待って。清川さん。君はきっと誤解している。」
 段々私のテンションも上がってきた。制御不能になるまでもう少しだ。早乙女君がうかつなことを口にすればそれでおしまいだな。
「誤解?誤解でスリーサイズが分かるのか?」
 早乙女君は首をぶるんぶるん振る。
「そんなの一目見ればわかるんだよ。」
「適当なことを……。」
 私の右足が一歩前に出た。「ずん」と効果音をつけたくなるような一歩だった。早乙女君は後ずさりしながら両手を私の方に突き出して叫んだ。
「いっ、いや。ほら、世の中には需要と供給ってものが……。」
 ずばーん。私の膝蹴りがもろに早乙女君のみぞおちに食い込んだ。
「ぐっ、ぐえぇ。」
「言いたいことはそれだけ?」
 早乙女君はお腹を抱えてうずくまった。私は仁王立ちで早乙女君を見下ろした。
「きらめき高校、全女生徒の怒りを受けなさい。」
 早乙女君はふらふらと右手を私に向かって差し出した。
「まっ、待ってくれ。清川さん。このデータは女生徒のためにも使われているんだ。」
 少し収まりかかった私の怒りに再び火が点いた。
「懲りずにまた適当なことを!」
 早乙女君が慌てて大きくてを振る。
「ちっ、違う。本当だって。とっ、友達に聞いてみてくれ。」
 どうも信用できない。大体女の子が他人のサイズを聞いてそれがなんだっていうんだ。でも、早乙女君は真剣に言っているみたいだ。一体どういうつもりなんだろう?
「ねっ、頼む。聞いてみてくれ。本当なんだったら。」
 早乙女君はその場で土下座した。
 ちょっと待ってよ。土下座なんて恥ずかしいじゃない。
 まあ、冷静に考えてみれば早乙女君を絞めているところを見られるのも恥ずかしいんだけど、やっぱりそれとこれとは話が違う。ん?いや、やっぱり違わないかな。
 私はちょっと反省して早乙女君の言っているとおり友達に聞いてみることにした。
「もし、嘘だったらどうなるか分かってるだろうな?」
 早乙女君はがばっと起き上がった。ずいぶん嬉しそうな表情だ。もしかして、今のは口からでまかせではないってこと?
「じゃ、俺はデビイを追いかけるから。」
 早乙女君は立ち上がってズボンをぱたぱたとはたいた。
 うーん、なんだかやっぱりごまかされたような気がするけど、まあ嘘だったら後でこっぴどくお仕置きすればいいし、確かにデビイは追いかけないといけないし……。
「じゃ、また後で……。」
 そういうと早乙女君は昇降口に向かって走り出した。
 うーん、やっぱりごまかされたような気がするなぁ。

 三時間目の休み時間。私は次の授業が体育なので更衣室で着替えていた。
 よし、今朝早乙女君が言っていたことを確認してみよう。もっと早く確かめたかったんだけど、今までそういうチャンスが無かったんだ。というのも今朝は早乙女君を懲らしめるのに時間がかかって遅刻寸前だったからだ。
 まあ、校門の中に入ったのは早かったから遅刻にはならないんだけど……。
「ねぇ、早乙女君っているでしょ?」
 私はすばやく体操着に着替えるとすぐ隣で着替えていたクラスメイトに尋ねた。
「えー、清川さんってあんなのが趣味なの?」
 あまりに意外な突っ込みに私は一瞬硬直しかかったけど、一秒でも早く否定しなくちゃいけないと思って慌てて首を振った。
「なっ、何言ってんだよ。そんなんじゃないよ。」
「分かってるわよ。冗談よ、冗談。」
 もう、言って良い冗談と悪い冗談って物があるよな。頼むよ、勘弁してくれよ。
「で、早乙女君がどうかしたの?スリーサイズでも調べられちゃった?」
「どっ、どうしてそれを!」
 なんで彼女がそんなことを知ってるんだ。まさか、早乙女君ってばもう私のスリーサイズをうわさにして広めちゃったの?
「どうしてって、あいつってば学校中の女の子のサイズを調べ上げてるって話よ。」
 なっ、なんて奴……。まあ、そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりなんて奴なんだ。あいつは……。
「なに?また早乙女君?」
 私が大きな声を出してしまったせいか、クラスメイトたちが次々に私の周りに集まってきて口々に早乙女君の話を始めた。
 ブラのサイズがあっていないと指摘された娘、ダイエットしていたら、君は太っていないとか言っていろんな女の子のサイズを見せられた娘、ダイエットに失敗して胸から痩せたらそうならないダイエットの本をプレゼントされた娘……。
「そうなのよ、早乙女君って。黙ってれば良いのにこうやって余計なことを言うからみんなのサイズを調べているってばれちゃうのよねぇ。」
「黙ってたって良くないわよ。」
 クラスメイトたちは一斉に笑った。
 そうかぁ、これが早乙女君が言っていた女の子達の役に立っているということか。でもこんなの一人よがりだよ。みんな喜んだりしないって。
 でも、あんまり怒ってもいないみたいだな、みんな。サイズを調べられてどうして腹が立たないんだろう?
 私は思い切って聞いてみることにした。
「ねぇ、みんなサイズなんか調べられて腹が立たない?」
「そりゃあ、立つわよ。」
 みんなは一斉にうんうんうなずいた。
「でもねぇ、なんか憎めないのよねぇ。」
「そうそう、あんまり真剣にアドバイスしてくれるからついつい感謝なんか感じちゃったりして。」
 またクラスメイトたちは一斉に笑った。
 なるほど、困ったチャンだけどかわいい困ったチャンだっていうことか。
「でもねぇ。確かに悪い奴じゃないんだけど、やっぱりちょっと気持ち悪いわよねぇ。」
 更衣室中の女の子がどっと笑った。
 そうか、やっぱりみんなそう思っているんだ。早乙女君、不幸な奴。でも自業自得だからしょうがないよね。
 早乙女君に対する私の怒りはなんとなく収まってしまった。毒気を抜かれるってのはこういうことをいうんだろうなぁ。
「きゃぁー!」
 その時、更衣室の奥の方から悲鳴が上がった。
「このロッカー、誰か入ってる!」
 それって痴漢じゃないか。
 まだ下着のままの女の子達は脱いだ制服で体を隠すようにして入り口の方に逃げ出す。でも、外へ出るわけにはいかないからそのまま扉の前に固まっている。
 既に着替えてしまった娘たちも実害はないとは言え、やっぱり気持ち悪いから入り口の方へ逃げる。でもまだ着替えている娘がいるので扉を開けることさえできなかった。
 そんななか私だけがみんなと反対に問題のロッカーに駆け寄った。
「この清川望の着替えを覗くとは良い度胸じゃないか!」
 私がばーんとロッカーを開くとそこにはあろうことか早乙女君の姿が……。
 私の怒りゲージはマックスを振り切ってレッドゾーンに突入した。一度収めた反動が一気に来た感じだ。
 早乙女君はキョンシーの様に両手を前に突き出してのそのそとロッカーから出てくる。あれ?なんだか様子が変だ。
 私は何歩か下がって間合いをあけると、右腕をぐるぐる振り回してウェスタンラリアートの構えを取った。ちょっちょっと待った。早乙女君の様子が変なんだったら。あー、でもだめだ止まらなーい。
 どかーん。
 強烈な音がして早乙女君の体はその場で見事に一回転して床に叩き付けられた。そして漫画みたいに一度床でバウンドして……、きゃー、白目を剥いて泡を吹き出した。
「望!いくらなんでもやりすぎよ!」
 ああっ、言われるまでも無い。これはいくらなんでもやりすぎだ。でも、本当のことを言えばちょっぴり気が済んだかな?
 って、そんなことを言ってる場合じゃなーい。早く早乙女君を保健室に連れて行かなくちゃ。


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