第一章 望の怒り

 私は校門を入ったすぐの所に立って早乙女君が登校してくるのを待っていた。
 予鈴まであと20分、だんだん登校してくる生徒の数が増えてきた。私は仁王立ちで、手を胸の前で組んで、登校してくる生徒、一人一人の顔をじろっと確認している。なんで、早乙女君を待っているだけでこういう風になってしまうかというと、私がすごく怒っているからだ。そう私は猛烈に強烈に怒っている。今まで生きてきてこんなに怒ったことはないってくらい怒っている。夕べは怒りのあまり寝付けなかったくらいだ。
 そんなわけで、さっきから登校してくる生徒たちは私を見てびくっと後ずさりしたり、気が弱い奴なんてその場に座り込んでしまったりしている。私からは今、怒りのオーラが立ち上っているんだ。自分でもそれが感じられる。
 そのとき、B組の林が二、三人の友だち、というかとりまきと一緒に登校してきた。そして、彼は私と目があったとたんその場に凍り付いてしまった。彼には心当たりがあるもんだから凍り付き方も半端じゃない。それこそ瞬きも止まって、銅像にでもなってしまったみたいだ。とりまきたちもてっきり私が林に復讐するために待っていたんだと思ったのか林にぼそぼそと何か一声かけてそそくさと逃げていく。やっぱりろくな友だちじゃないね。彩子だったらこんなときでも絶対に私を置いて逃げたりしないよ。私はちょっぴり林が可哀相になった。
 第一、確かに私は林にも怒っているけど、今、捕まえたいのは林じゃなくて早乙女君だ。それに林は昨日、伊集院君のボディーガードの斎藤さんにこっぴどいめにあわされたみたいで、顔にもいくつも痣を作っているし、歩いているときも大きくびっこを引いていた。きっとズボンの中は包帯だらけなんだと思う。もう十分だよ。許してあげるよ、林。私は林に向かって言った。
「行っていいよ、林。」
 うわっ、なんて怖い声。自分でもびっくりしちゃうぜ。まあ、こんだけ怒っていて、林にたいしてだって全然怒っていないわけじゃないんだからこういう声でもしかたがないか。あれ?でも林は動かない。聞こえなかったのかなぁ。じゃあ、もう一度。
「聞こえなかったのか?行っていいってば。」
 そのとたん林は物凄いスピードで走り出した。びっこはどうしたんだ……。あっ、転んだ。と、思ったらすごいいきおいで立ち上がって、あっ、また転んだ。大丈夫なのかなぁ、あいつ。ま、いいか。今、問題なのは早乙女君だ。私はまた登校してくる生徒たちの監視に戻った。
 実は怒っているのは早乙女君だけにじゃあない。山元先輩、間淵先輩。この二人にもすっごく怒っている。でも、この二人はのんきに登校してきたところを捕まえて、すでに正門の脇に正座させてある。懲らしめるのは早乙女君を捕まえてからにしようと思ってまだ何も言っていないけど、私が何を怒っているのかはわかっているみたいで、もうすっかりしゅんとして首をガックリと落している。もっとも間淵先輩は例によってカメラを構えたままだからまるで地面の上の蟻の写真でも撮っているみたいだ。
 ん?もしかして、まさか……。私は二人の前に行き、二人に声をかけた。
「二人とも、反省してますか?」
 山元先輩はゆっくりと顔をあげ、私の方を見た。目には涙がたまり、唇もぶるぶる震えている。
「ちゃうんや、清川さん。あっあれは……。そや、俺の清川さんに対する愛情の証なんや。」
 そのとたん私の頭の中には山元先輩が昨日書いていた「清川望、その愛の行方」という題名の小説のストーリーが頭の中をぐるぐる駆け巡った。
「愛情の証だってぇ。」
 山元先輩の顔色がみるみる青白くなった。きっと逆に私の顔は真っ赤になったんだと思う。なんだか景色まで赤くなったみたいだ。あたりが炎に包まれているか、目が真っ赤に充血してしまったか、そんな感じがする。
「すると、山元先輩は私のことを……、私があんなことや、こんなことを……、私が……、私が……。」
 もう怒りすぎてなにがなんだかわからない。山元先輩の「清川望、その愛の行方」の中の私はあんなことや、こんなことを……、本当の私はまだ男の子と付き合ったこともないのにあんなことや、こんなことを……。それが愛情の証だってぇ?あんなことや、こんなことのどこが愛情の証なんだぁ。
「ぐはぁぁ。」
 山元先輩がごろごろ転がって校門にがちゃーんと叩き付けられた。いっけね。興奮しすぎて思わず足が出たみたいだ。間淵先輩が慌てて山元先輩に駆け寄る。
「山元、大丈夫か?傷は深いぞ!がっかりしろ。」
 間淵せんぱーい。それが友だちに対して言うせりふ?
 と、そのとき、昨日、間淵先輩が読んでいた「望ちゃんの危機一髪」というマンガのシーンが私の頭にぽんと浮かんだ。再び、私の頭はどっかーんと爆発した。
「ところで、間淵先輩。先輩が昨日読んでいたマンガなんですけど……。」
 間淵先輩の手から抱き抱えていた山元先輩がどさっと落ちた。間淵先輩はスローモーションの様に振り返って私にカメラを向けた。いや、そうじゃなくて、常にカメラを構えているからそう見えただけで実際には振り返っただけだ。
「え?でも、あれ……。ねっ、かわいかったでしょ?」
 そのとたん、私の頭の中を「望ちゃんの危機一髪」のあんなシーンやこんなシーンが駆け巡った。
「かわいい?かわいいだってぇ?」
 間淵先輩はあうあうわめきながら必死に言訳する。
「ほら、でもきれいだったでしょ?本当の清川さんもあんなかなぁなんて……」
「本当の私だぁ?」
 すると間淵先輩は私があんなことやこんなことをすることを想像して……、私が人前であんなことやこんなことをするはずがないのに……。あんなことやこんなこと……、あんなことやこんなこと……。
「ぎゃぁぁぁぁ。」
 げげっ。また足が出ちゃったみたいだ。間淵先輩は山元先輩とひとかたまりになって校門の下に転がっている。二人ともピクリともしないところをみると相当強烈な蹴りを入れてしまったみたいだ。ま、少しは気が治まったからいいけどさ。
 それより、早乙女君。彼はまだ来ないのか?彼にはどうして彼の手帳に私のスリーサイズが、それも入学したときからの変化がグラフになって書いてあるのかを説明してもらわないと……。
「あっれー、清川さんだ。おはようございまーす。」
 誰?私はそののほほーんとした声の主を振り返ってみた。
「うっ、上田先輩。」
「清川さん、実はね。昨日また素敵なチャイナドレスを見つけたんだ。清川さんに是非プレゼントしたくてまた買ってきたんだ。ほら見てよ。」
 うわー、やめてよ。
 この上田先輩って人もやっぱり清川望ファンクラブのメンバーなんだけど、よっぽどチャイナ服が好きらしくて何かというと私にチャイナ服をくれるんだ。どんなに着ないからって言っても、似合うからとか素敵だからとか言って強引に渡すんだ。結局、一回も着たことがないんだけど、それでもこうしてまた持ってくるし、後で着たかどうかしつこく確認するんだ。
「ねっ、今回のも赤なんだけど、ほら、この色合いがね。」
 上田先輩はいとおしそうにチャイナ服を撫で回した。でたー、上田先輩の危ないバージョン。もう目付きまで変わっちゃってのほほんとした普段の上田先輩のイメージはどこにも無い。これさえなければ悪い先輩じゃないんだけどなぁ。ん?待てよ。上田先輩も清川望FCのメンバーだってことはあの回覧誌を読んでいるってことだよね?だとすると……。
「上田先輩、FCの回覧誌って当然知ってますよね。」
 チャイナ服を撫で回していた上田先輩の手がぴたっと止まった。あっ、顔も普段ののほほんバージョンに戻ってる。
「どっ、どうしてそれを……。部外秘のはずなのに……。」
 ふーん、そうだったんだぁ。やっぱりねぇ。ってことはつまりFCぐるみの犯行だったってわけだ。まあ、最初からそうだろうとは思ってたんだけど……。
「つまり、上田先輩もああいうのを読んで喜んでいたってわけですね?」
「いっ、いや。えっと……。あの……。」
 どうも様子がおかしい。何か変だ。上田先輩は何かを隠している。そのとき私の頭にぴーんと来る物があった。
「さては上田先輩、読むだけじゃなくて書いてますね?」
「ひぃー。」
 上田先輩は頭を抱えて座り込んでしまった。
 昨日、山元先輩から取り上げた回覧誌はまだ使いはじめたばかりのもので山元先輩の小説以外には「清川さん、萌えぇぇ」とかいうわけのわからない落書きしかなかった。でも表紙にはNo4って書いてあった。ということは、つまり、あんな小説が載っている回覧誌が他に3冊あるってことじゃないかぁ。
 私は座り込んでいる上田先輩をむりやり起こして聞いた。
「どんな、小説を書いてたんですか。怒りませんから言ってください。」
 うーん、我ながら説得力の無いせりふだなぁ。こんなんじゃ上田先輩も教えてくれるわけないよな。
「え?あの……。いや、別に僕はそんな……。」
 やっぱりだめか。しかたない。こうなったら弱点を攻めるしかないな。
「言わないとうちにあるチャイナ服みーんな捨てちゃいますよ。」
 上田先輩の顔がさっと青ざめる。やっぱり上田先輩にはこの言葉が効くなぁ。
「教えてくれますね?」
 上田先輩はがたがた震えて涙をぼろぼろ流して口をぱくぱくさせた。心の中で二つの問題が葛藤しているんだ。チャイナ服とあんな小説か。あー、どうせだったらもっとまともな考えで葛藤してくれないかなぁ。これじゃぁ、どっちが勝っても私はあんまりうれしくないなぁ。
「ぼっ僕が書いていたのは……。」
 どうやらチャイナ服が勝ったらしい。上田先輩って、まあ最初からそういう人だと思っていたけど、あー、やっぱりそういう人だったんだなぁ。
「『チャイナな望ちゃん、今日もむちむち色っぽいね』って小説で……。」
「なんだってぇぇ?」
 ぷっちーん。あっ、切れた。完璧に切れた。ここまで切れちゃうと自分のことが他人事みたいだ。あー、上田先輩、可哀相だな。蹴っ飛ばされて校門にがっしゃーんと激突しちゃうんだろうな。あれ?上田先輩が何か言っている?なんだって?チャイナ服だからとってもかわいい?あーあ、この上、火に油を注いでどうするんだよ。命知らずはこれだからなぁ。
 あっ、足が上がりはじめた。あー、もうだめだ。上田先輩さようなら。
「おー、上田!貴様、抜け駆けかぁ?汚ぇぞ。」
 私はその状況をわきまえないのんきなせりふで一気に現実に引き戻された。上げかかった足をとりあえず戻して声がした方を振り返る。
 そこにいたのはやっぱり清川望FCのメンバーの鶏山先輩。その隣にいるのは……、誰だろう?知らないなぁ。バッチに1Cって書いてあるから一年生なんだろうけど、ひょっとしてFCの新規会員?
「せっ、先輩。ほら、本物の清川さんです。わー、すごいなぁ。すごいなぁ。せっ先輩、紹介してもらえません?」
 はあ、やっぱりそうか。どうせこいつも変な奴なんだろうなぁ。外見は普通なのにもったいない。
「そうだな。えーと、清川さん。こいつは今年の新人で……。」
「新人の茶色野と言います。よろしくお願いします。」
 鶏山先輩の紹介を途中で遮って新人君は自己紹介を始めた。紹介してくれって頼んだくせに変な奴。それに茶色野?変な名前。
「あっ、間違えました。黄緑野です。」
 はぁ?自分の名前を間違えてどうすんの。それにしても黄緑野?そんな変な名字ってあり?
「あっ、また間違えた。本当はクリムゾン野……。」
「いいかげんにしろ、青野。」
 鶏山先輩が新人君の頭をごつーんと叩いた。青野?それが彼の名前?うん、そんなら普通の名前だ。
「こいつ、FCに参加して最初の自己紹介のときに自分の名前を間違ってさぁ。それが妙に受けたもんだからそれ以来ずっとこんな調子なんだ。ほら、青野。ちゃんと挨拶せんか。」
「どうも、青野です。よろしくお願いします。あっ、これプレゼントです。ネコ耳ですけど……。」
 名前は普通でも性格はやっぱり普通じゃなかったか。青野君は制服のポケットからごそごそと猫の耳の形をした飾り物を出して私に見せた。こんなもの一体どうしろっていうんだよ。つけろっていうんだろうなぁ。信じられない奴。
 青野君は私が猫耳を受け取らないのを見ると悲しそうにこう言った。
「猫耳、お嫌いですか?何でしたら、うさぎ耳やパンダ耳、きつね耳なんてのもありますけど。」
 どうして次から次へと変な耳がポケットから出てくるんだぁ。ドラえもんだってそう次から次へと変な物を出したりしないぞ。
「青野、やめろ。清川さんがおびえてるじゃないか。」
 青野君は不満そうに鶏山先輩をにらんだ。
「えー、でも清川さんにきっと似合うと思うんです。」
 そういう問題じゃないんだってば。まったく清川望FCのメンバーってどうしてこうそろいもそろって変な奴なんだろう。
 鶏山先輩はまだぶつぶつ言っている青野君に無理矢理猫耳をしまわせた。うーん、鶏山先輩はFCの中ではちょっとましな方かな。
「ところで、清川さん。その左手にぶら下げている上田なんだけど……。」
 あっ、青野君の強烈な猫耳攻撃で上田先輩のことを忘れていた。上田先輩は……、白目をむいて泡を吹いている。別に気管も頚動脈も押さえていないからきっと私の怒りのオーラにやられたんだな。試しにちょっと振ってみると……、かさかさ、かさかさ。うへっ、変な音。すっかり干からびちゃってミイラみたいだ。あっ、でも目が開いた。生きてるんだぁ。やるなぁ。
「死んではいないみたいだね。」
 鶏山先輩の方を振り返ったとたん、私は回覧誌のことを思い出した。と、同時に復活したばかりの上田先輩がつぶやいた。
「逃げろ、鶏山。例のことが清川さんにばれた。」
 鶏山先輩の顔から血の気が引いた。みんなワンパターンの反応だなぁ。でも私も人のことはいえない。私も例によって大魔人モードに突入していた。
「あっ、あの清川さん。また後で……。」
「待ちな。ちょっとついてきな。」
 鶏山先輩は一歩も足を踏み出せずに私の声に引き止められた。青野君は状況を理解できずにきょとんとしている。
「さあ、来いってば。」
 私は上田先輩をずるずると引きずって校門の下で倒れている山元先輩たちの方へ向かった。鶏山先輩もうな垂れてついてくる。青野君もついてくるけど、やっぱり状況が分かっていない。またポケットをごそごそとかき回して……。
「清川さん。こんな猫耳もあるんだけど……。」
 いや、これでも彼なりに気を使っているだろう。
「始めまして、清川さん。僕、オレンジ野と言います。」
 青野君はまだポケットをごそごそ探ったり、出てきた耳を自分につけてみたりしたけど場は決して和まなかった。和むわけないよなぁ。気持ちはわかるけど、そんなことでごまかせる状況じゃないんだよ。
 山元先輩と間淵先輩はまだのびていた。私が上田先輩を二人の上に放り投げると二人はぐえぇと言って目を覚ました。
「二人もそこに並びな。」
 鶏山先輩と青野君に向かって私はそういった。鶏山先輩はおとなしく、青野君はまだぶつぶつ言いながら倒れている山元先輩たちの隣に座った。
「ちょっとマニアックなタスマニアデビルの耳ってのもあるんですけど。」
「あー、もう、寝言はたくさん。」
 私がそういうとさすがに青野君も黙り込んだ。倒れていた山元先輩たちもようやく起き上がってまた正座に戻った。
「先輩たち、ファンクラブなんていってあんな小説を書いたりあんな漫画を書いたりしていたんですね。」
 山元先輩はなにか弁解しようと口を開いたけど、言葉が出てこない。そりゃ何も言えないよね。あんなことしてたんじゃぁ。
「私のことを常にそういう目で見てたんですね?」
 滅相もないというように山元先輩は顔の前で手をぶるぶる振る。間淵先輩も顔を大きく振る。でも私はそっと視線を外す上田先輩を見逃さなかった。
「上田先輩、そういう目で見てましたね?」
 上田先輩はがばっと立ち上がってかばんをがさがさ探りはじめた。
「ちっ、違うんだ。清川さん。僕はチャイナ服がね。ほら、チャイナ服が……。だから、いいや、チャイナ服はね……。」
 上田先輩はかばんからチャイナ服を着たマスコットやチャイナ服を着た女性のイラストなんかを次々に取り出して私に見せた。全部髪がショートだしきっと私のつもりなんだろう。いや、わかっていたけど上田先輩ってやっぱり……。
 あれ?なんだか上田先輩の手の動きが不自然だ。どうも特定の場所を意識的に避けているような……。そう、一冊の本の辺りを探るときはどうも手の動きがおかしい。私に表紙を見せないようにしているんだ。きっとそうだ。
 私は上田先輩の隙を伺って上田先輩が避けていた本をすぱっと引き抜いた。
「これは一体何?」
 私が引き抜いた本を見て山元先輩や鶏山先輩があっと驚きの声を上げる。上田先輩も本を抜かれたことに気がつくと取り返そうと手を伸ばしたけど、次の瞬間すべてをあきらめたのかがっくり膝をついた。
「いや、清川さん。わしらが悪かった。もうあんな小説は二度と書かん。あんな漫画も二度と描かん。せやから、その本、その本だけは中を見ないでくれ。」
 山元先輩たちが涙を流しながら土下座している。間淵先輩なんかカメラが地面にぶつかるのも気にせず何度も頭を下げている。青野君はまだ事情が分からないらしくポケットから何かの耳を取り出してはぶつぶつ言っている。
 この本に何か秘密がある?山元先輩たちの慌てかたは半端じゃない。絶対に私に知られたくない秘密がこの本にあるんだ。私は本の表紙を眺めてみた。
「望、第一章?」
 私がそう言ったとたん、青野君があっと声を上げた。
「あれが噂の……。」
 そのとたん山元先輩たちが青野君を袋叩きにした。
「このあほたれ、余計なことはいうんじゃない!」
「おまえは大人しく猫耳でも眺めとれ。」
 やっぱり何かある。私はその本を読む決心を固めた。私が本を開こうとしたそのとき、青野君を袋叩きにしていた山元先輩たちが急に私に飛び掛かってきた。
「こっ、これだけはだめだぁ。」
「清川さん、これだけは……。これだけはだめなんだよぉぉぉぉ。」
「上田のあほたれぇ。おまえがこんな本を持ってくるからぁぁぁぁ。」
「えー、山元が貸してくれって言ったんじゃないかぁ。」
 山元先輩たちは私から本を取り替えそうと必死だ。わっ、こら。どこを触ってんだよ。やめろ、手つきがいやらしいぞ。だー、もう。こらっ、そんなとこ触るなってば。
 払いのけても払いのけても山元先輩たちの手は執拗に触ってくる。ってそういうつもりじゃないんだろうけど、結果的にはいろんなところを触っている。あー、もう、やめてぇ。
 私は先輩たちを一まとめにして校門の方に突き飛ばした。がしゃがしゃーんとすごい音がして全員校門に激突した。ふう、これで一安心。でもあの本がない。見てみると鶏山先輩があの本を掴んでいる。あっ、いけない。みんな起き上がりはじめた。早く取り戻さなくちゃ。
「あっれー、清川さん。元気ぃ?」
 ああっ、この緊張感を削ぐ朝も昼もないいいかげんな挨拶は……。
「ほーら、今日も素敵な水着をいっぱい持ってきたんだよぉ。」
 ああっ、振り返るまでもない。この声は清川望FCきっての水着マニアの須々木先輩。彼からのプレゼントの変な水着が私の部屋に溢れ返っている。もう、わずらわしいときにわずらわしい奴が……。
 私は振り返ることも鶏山先輩の方に進むこともできずに硬直していた。でも鶏山先輩たちも私ににらまれて硬直している。こうなったらどちらが早く硬直から抜け出せるかが勝負だ。
「今日持ってきたのはねぇ。ピンクのセパレートなんだ。最近、清川さんが着ているピンクのラメ入り競泳水着よりよっぽどおしゃれだと思うよ。」
 ぷっちーん。あっ、硬直から抜け出せた。さあ、鶏山先輩から本を取り返し……。あれ?からだが思うように動かない。あっ、自由にしゃべることもできない。
「でも清川さんもひどいよなぁ。僕があんなにたくさん素敵な水着をプレゼントしたのにあーんな趣味の悪い水着を着ちゃうんだから。」
 ぶちぶちぶちぶちぶちー。あれ?何の音?あれなんで私振り返っちゃうの?鶏山先輩はそっちじゃないって。そっちにいるのは須々木先輩。なぜそっちに行くんだ?
「ピンクのラメ入りならやっぱりセパレートじゃなくちゃ。これにはかわいいフリルもついているし、これだったら町中で着てもそんなに恥ずかしくないと思うよ。」
 ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちーん。ああっ、もうだめだ。自分をごまかしきれない。「望、第一章」も気にかかるけどどうしてもこの男をこのままにしておけない。
「すーずーきーせーんーぱーいー。」
「ん?何かな?やっぱりピンクのラメ入りが好き?」
 最後の理性の糸がぷっちーんと切れた。私は須々木先輩の手をがしっと掴むとぶんと振り回して地面に叩き付けた。そして反対側にぶんと振り回してもう一回、さらにぐるぐる振り回して校門に叩き付けた。びたんびたんぐわしゃーんと強烈な音を立てて須々木先輩は一瞬でぼろぼろになった。
「うっ、清川さん。ずいぶん乱暴な喜びの表現だね。」
 こっこの男はどこまでも……。そのとき、いつのまにか硬直から抜け出した山元先輩たちがそうっと立ち上がって逃げ出すのが見えた。くそっ、「望 第一章」を取り返さなくちゃ。ああっ、でも体が言うことを聞かない。
「実はピンクのラメ入りワンピースも用意してあるんだけど、これは清川さんにはちょっと子供っぽいかも……。」
 ああ、頼むからもうごたくを並べないで…。ほら山元先輩たちが逃げてっちゃうじゃないか。
「どうしても競泳水着がいいんだったら、これなんかいいんじゃないかなぁ。少なくとも清川さんがいつも着ている奴より……。」
 ああっ、だめだぁ。もうこの男をぎたぎたにしないと他に何もできない。
 遠くから山元先輩の声が聞こえる。
「でかしたぞ。むーみん。」
 むーみんってのは須々木先輩のあだなで……、待てよ。「でかした」だって?ひょっとして今のは須々木先輩の時間稼ぎ?くっそー、そうとわかれば……、だめだぁ。やっぱりどうしても須々木先輩を痛めつけずにはいられない。すっかりひっかかってしまったぜ。
 くっそう。この怒りのやり場は……、ま、とりあえず須々木先輩だな。


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