第二章 ノゾミは望

 ノゾミウオッチからきらめき市歌が流れた。ああー、止めてよ。これで今週何回目の出動だと思っているの?芝田先生……じゃないミスターSはさすがに教師だけあって授業中とか部活中とか深夜には出動要請しないけど、朝夕のロードワーク中にはほぼ必ず出動要請をするんだ。おかげできらめき市歌は完璧に覚えたけど、こんなの歌う機会なんてまずないからなぁ。
 ああっ、またくだらない考えに逃避してしまった。私ってこんな性格だったかなぁ。確かに見た目と違って内気なところはあったけど現実から逃避するような癖はなかったはずなんだけど。ううん、そうじゃない。美少女スイマーノゾミなんてのが現実ばなれしたできごとだからに決まってる。
 いけない。出動しなくちゃ。えっと、通話機能をオンにするにはこの黄色いボタンを押して……。
「はい。望です。」
「ピンクか。緊急指令だ。今、三丁目のコンビニの前の交差点を中学生が集団で信号無視をした。至急対処してくれたまえ。」
 先生、今はまだ朝6時すぎ、あの交差点を通る車なんて全然いないんだから信号なんて守らなくっても全然平気だって。なーんて、もちろん言えない。
「分かりました。急行します。」
「今回の任務は君一人では難しい。ブラック、グリーン、レッドにも出動を要請した。協力して対処してくれたまえ。」
 ええ?それって彼らにあのピンクの競泳水着を見られるってこと?やめてよ、先生。なんてもちろん言えないんだけど。
「了解しました。」
 これまでの出動は私一人だった。公園が汚れているから掃除しろとか、ごみ箱がいっぱいだから片づけろとかそんな任務だったし、これってひょっとして修行期間だったってこと?
 それにしても山元先輩、間淵先輩、早乙女君にあの水着を見られるのか。あー、恥ずかしい。彼らも同じくらい恥ずかしいカッコだといいなあ。私はそんなことを考えながら三丁目のコンビニ前に向かった。

 三丁目前には既に山元先輩と間淵先輩が来ていた。それにもちろん中学生はもういない。当たり前だよ。いつまでもそこにいたんじゃなんのための信号無視だかわからないからな。
「先輩、よくこんな早い時間に起きてましたね。」
 我ながらのんきな挨拶だとは思うけど、信号無視した中学生どころか人っこ一人いないコンビニ前じゃあ緊迫する理由なんてまったくないからしょうがない。
「俺らは夕べ徹夜で暴走族を指導してたから……。」
 間淵先輩が眠そうに答えた。もちろん、カメラは構えたままだ。フィルムを交換する時くらいはカメラを降ろすと思うんだけどそういうところは見たことがない。いったいいつ交換しているんだろう。
「ここんとこ連日やで? 暴走族もええかげんにせえっちゅうねん。」
 え?ちょっと待って。暴走族、徹夜?
「私にはなんの連絡もなかったけど?」
「当たり前だ。年頃の女性が深夜の外出なんてもってのほか。そんな任務は男がやればいいんだ。」
 その時代がかったせりふはノゾミウォッチから聞こえてきた。なーんだ、ボタンを押さなくっても聞こえるんじゃないか。
「先生!」
「先生じゃない!ミスターSだ!ところでレッドはどうした?」
 そう。早乙女君。彼はいったいどうしたの?
「レッドならまだ寝てるんじゃないでしょうか?」
「そうやで、先生。早朝の任務にあいつが間に合うたこと一回もないやないですか。」
 え?早乙女君って朝弱かったの?水泳部の早朝練習でよく見かけるから朝に強いんだと思ってたのに……。もしかして、あれって女がらみだから?うーん、いかにもありそうだけど、まさかそんな……。
「先生じゃなぁい。それにしても、あいつ、どれだけ遅刻したら……。よし、お仕置き装置だ!」
「ひぇー!」
 と悲鳴を上げたのは山元先輩と間淵先輩だ。
「え?お仕置き装置?なにそれ?」
「おしおき装置ってのはねぇ。」
「清川さんもしとるその時計から、電気がびびびびびっって流れるんや。」
 せっ、先生。そんなメカまでつけてたの。
「あのー、先生。それってあんまりじゃぁ……。」
「先生じゃなーい。」
 だって先生じゃないかぁ。そのくさい芝居はいいかげんにして欲しいなぁ。いや、いいかげんにするんだったらそもそもこの戦隊ごっこをいいかげんにしてくれないかなぁ。
「ところでブラック、中学生は見つかったかね。」
「見つかるわけあらへんでしょう? 信号無視っていったい何分前のことなんですか?」
 そうだよ。私もそう思う。間淵先輩だってうんうん頷いているじゃないか。
「グリーン。変身して再生カメラで探すんだ。」
 その声を聞いた間淵先輩は情けないような声を出した。
「きっ、清川さんの前でですか?」
 うっわー、悲壮な顔。って顔は見えないからこれは想像だけど、隣の山元先輩が「心底同情するよ」って顔をしているからまず間違いないと思う。
「清川さんじゃない。ピンクと呼びたまえ。とにかく早く変身するんだ。」
 間淵先輩は大きくため息を吐いた。がっくりうなだれた顔にぴったりカメラが張り付いたままだ。もしかして、間淵先輩ってすごいのかも。
「キラメキグリーン。ズームイン!」
 間淵先輩は唯一使える左手を空にぴっと突き出して声とともにくるっと回った。だっださい。私の変身ポーズもださいけどカメラを構えていない分ちょっとマシかな。
「とおっ。」
 間淵先輩は掛け声とともにジャンプした。空中でぴかっと光るとそのままくるっと前宙して着地した。こっ、この格好は……。
「接写と望遠のカメラ戦士。カメラーマン。」
 まっ、間淵先輩、可哀相。
 間淵先輩のコスチュームはラメ入りの緑の競泳パンツと緑の変なカメラと緑の時計それだけだった。そういえば芝田先生は戦闘服は水着で決まりって言ってた。まさか山元先輩も……。ううん、山元先輩はタキシードマスクなんだからタキシードを着てるんだ。きっとそうだ。そうだと思いたい。
「さあ、グリーン。再生カメラだ。」
 間淵先輩は緑のカメラであたりの写真を取り始めた。
「先輩、山元先輩。再生カメラってなんですか?」
 私は山元先輩の小脇をひじで小突いてそう聞いた。
「再生カメラっちゅうのは、その場所の過去一時間以内の映像を再現するカメラや。」
「ええっ、それってすごい発明じゃ……。」
 芝田先生っておたくでも変態でもなくてひょっとしてすごい天才科学者?あいかわらずネーミングセンスは最悪だけど……。そういえばノゾミのコスチュームだって……。あれ?パワーアシストとか言っていたけど変身しても別に力は強くならないなぁ。攻撃されたことはないからショックアブソーバーのことはわからないけど…。
 そのとき、山元先輩がそっと私に耳打ちをした。
「いや、そうやのうて。どうも隠しカメラで撮影した映像をどっかから送ってきとるだけみたいなんや。」
 しっ、芝田先生ってそこまでして戦隊ごっこをしたいの?
「せん、じゃないミスターS、分かりました。中学生はこっちに行ったようです。」
 間淵先輩は駅へ向かう道をぴっと指差した。もちろんカメラは構えたままだ。
「よし。ブラック、ピンク。変身して追跡だ。」
「ひょえ。」
「えー。」
 私と山元先輩はハモりはしなかったものの同時に叫んだ。先輩たちの前であの恥ずかしい水着になるの?止めてよぉ。山元先輩も情けなさそうにこっちを見ている。そりゃ、タキシードを着た山元先輩ってのもなかなか恥ずかしいかもしれないけど私の方がずっと恥ずかしいと思うんだ。
 山元先輩と私がしばらく見つめあった後で山元先輩がぼそっと言った。
「ほな、お先に」
 山元先輩は二、三歩下がって手を前に突き出して大木に抱きつくようなポーズを取った。そこでもう一度、私の方を見て情けなさそうに笑った。間淵先輩の方を見ると山元先輩の方にカメラを向けている。もちろん山元先輩の変身ポーズを撮影しようとしてるんじゃなくて、いつも間淵先輩がカメラを構えているというだけのことなんだけど……。あっ、私が変身するときも間淵先輩ってあのままのポーズってこと?それって、それって、すっごくいやかも。
 山元先輩は大きく一つため息を吐いて、それで決心がついたのか変身をはじめた。
「キラメキブラック。プットオン!」
 胸の前で大きな円にしていた腕を小さく絞りながらしゃがむと両手を大きく広げてジャンプした。
「とおっ。」
 Yの字の姿勢がぴかっと光に包まれると。山元先輩はそのまま着地した。そうかぁ。山元先輩は前宙しないんだ。まあ、私はジャンプもしないけど。
「格調高きタキシード戦士。タキシードマスク。」
 って、うわー、なにこのかっこ。
「ううっ、見んとってくれぇ。」
 山元先輩はそのまま泣き崩れてしまった。
 山元先輩のコスチュームは基本的には間淵先輩と同じ、ラメ入りの黒の競泳パンツと黒の時計、違うのはマスク。そう山元先輩のマスクはタキシードをかたどっていたんだ。
 うん、こりゃ確かにタキシードマスクだ。さっすが芝田先生、あいかわらずそのまんまのネーミング。私は思わず笑いそうになった。
 でも私はその笑いを必死の押しとどめた。だってここで笑ったら山元先輩、一生立ち直れないかもしれないじゃない。
 そのとき、間淵先輩が山元先輩の方につかつかと歩み寄った。
「山元、人生悪いことばかりじゃないぞ。」
 おっ、間淵先輩良いこというなぁ。山元先輩も感動したのか、震えていた肩がぴたっと止まった。
「そうかぁ。そうやったなぁ。」
 あれ?でもなんか変だ。そりゃ、顔は見えないけど声がやけに嬉しそうだ。あっ、そうだった。今度は私が変身する番だ。そりゃないよぉ。
「えっと、山元先輩。もう少し泣いてた方がいいんじゃないですか?」
「いや、もう完璧に立ち直ったから……。」
 こうなるんだたらさっき思いっきり笑っておけばよかった。自分のやさしさが恨めしいぜ。
 山元先輩と間淵先輩はガードレールの上に腰をかけてこっちを見ている。もちろん、間淵先輩はカメラを構えたままだ。ううっ、嫌さが倍増するぜ。
「あのー、二人とも……。」
 そのときノゾミウォッチから芝田先生の声がした。
「こらー、ピンク。早く変身しないか。」
 分かった。分かったよ。変身すればいいんだろ。私は決心を決めた。いや、もうやけくそになった。
「キラメキピンク。パワーアップ!」
 私の変身は右手を前から上にすっと上げてこう叫んだ後、左手を胸の前からさっと左に振ってその勢いで回転する。そうするとなぜだかバレリーナみたいにくるくる回ってぴかっと光に包まれる。
「愛と力の水泳戦士。美少女スイマーノゾミ。」
 私のコスチュームはピンクの競泳水着と時計それだけだ。カメラや変なマスクがない分、先輩たちよりはましだと思う。町中で水着を着てるだけで十分変という話もあるけど、そのことは努めて考えないようにしているんだ。
「よし、すぐに中学生を追いかけるんだ。レッドには途中で合流するように指示してある。」
 私は芝田先生の指示にすばやく従った。先輩たちの感想を聞きたくなかったからだ。ああっ、だめだぁ。後ろからでへでへって声が聞こえる。やめてぇ。
 私は走るスピードを上げた。

 もうすぐ二丁目というところまで走ったときに路地から誰かが飛び出してきた。赤い頭巾に赤いふんどし?これってもしかして……。
「さっ、早乙女君?」
「そういう君は清川さん。おおっ、これはなかなか。」
 って、きゃー、やめてぇ。
 私は思わず早乙女君に蹴りを入れてしまった。
「どわーっ。」
 早乙女君は5メートルほどすっ飛んで電柱に激突した。しかも、べしっという無気味な音がして、電柱が少し傾いてしまった。え?なぜ。
「ばかもーん。うかつに力を発揮するな。相手がレッドでなければ死んでいたところだぞ。」
 私が呆然とノゾミウォッチからの芝田先生の声を聞いていると、早乙女君がよろよろと立ち上がってきた。後ろからも足音が近づいてくる。先輩たちが追いついたんだ。
「あー、えらい目にあった。清川さん、乱暴だよ。」
「で、でも、今までこんなパワーはなかったのに…。」
 先輩たちの足音が止まった。
「このコスチュームは俺らの感情の高まりを感知してパワーを制御しよるんや。」
「そう。その通り。」
 ノゾミウォッチから聞こえる芝田先生の声は得意そうだ。
「怒り、恐怖。それらの感情が引き金になってコスチュームのパワーは発揮される。無用なときにパワーアシストをかけてしまうと危険だからね。」
 やっぱり、芝田先生って天才かも……。
 あれ?ちょっと待って。よく見たら山元先輩も間淵先輩も早乙女君も顔が隠れてるじゃない。じゃ、どうして私だけ素顔なの?そんなのないよぉ。
「せん、じゃないミスターS。みんな顔が隠れてるじゃないですか。どうして私だけ素顔なんですか。これじゃぁ。私の正体がすぐにばれちゃいます。」
 そうだ。そうだったんだ。雷におびえている姿を見られたくないってことに気を取られて今まで全然気が付かなかったけど、どう考えたってこの姿を見られる方が恥ずかしいじゃないか。あーん、私って馬鹿かも……。
「安心したまえ。君は髪の色がピンクになっている。」
 え、本当?気が付かなかった。
 私はウエストポーチの鏡に手を伸ばした。あっ、ウエストポーチがない。そうか。じゃあ、しかたがない。私は横の髪を顔の前に引っ張った。
「あっ、本当だ。よかったぁ。」
 私は安堵のため息を吐いた。
「安心するのはまだ早いぞ。」
 そのとき、早乙女君がすばやく私の横に擦り寄って耳打ちした。
「清川さん、君は今、校内に流れている噂を知らないのか?」
 う、噂?私は目の前が真っ暗になった。16トンの重りが頭に落ちてきたような気分だ。そんなのは漫画の中だけの世界だと思っていたのに……。
「噂って、どんなの。」
「いわく、清川さんが髪をピンクに染めてピンクの水着を着て公園のごみを拾っていた。いわく、清川さんが全身どピンクで交差点でおばあさんの手を引いていた。いわく……。」
「もう止めて。」
 私はその場にへたり込んでしまった。そういえば最近は部活の最中もみんなが妙にやさしかった。それって、それって、そういうことだったのか。あっ、涙が出そう。いけない。そんなことをしたらまた写真に撮られちゃう。
 そのとき、私の両肩にやさしくそっと手が置かれた。
「正体がばればれなのは清川さんだけじゃない。」
「そう。俺らかてばればれや。顔が隠れてたって声が変わるわけやない。第一、間淵なんかカメラ構えとるだけでもうばればれやないか。」
 そ、そうだったの?私は顔を上げて三人の顔を見てみた。みんな泣いてる。そうか。そうだよね。山元先輩も間先輩も早乙女君も喜んでやってるわけじゃなかったんだ。
 そのとき、ふっと嫌な予感が私の頭によぎった。私は反射的にさっと後ろに下がった。次の瞬間、先輩たち三人はがしっと抱き合った。
「先輩!」
「山元!」
「清川さん!」
 三人の手が私がいたあたりをさまよっている。いやだよ、いくらなんでも裸の男に抱きつかれるのは……。
 三人はちらっと顔を上げ私を見た。私が下がっているのを見るとさまよわせていた手をお互いの肩にのせてまた叫んだ。
「先輩!」
「山元!」
「早乙女!」
 私に触りそこなったからってすぐに離れないところはさすがだなぁ。
「猿芝居はそのくらいにしてそろそろ追跡を再開してくれないかね。」
 先輩たちは芝田先生の声と同時にさっと離れた。やっぱり裸の男に抱きつかれているのはいやだったんだな。でも誰も嫌そうなそぶりも助かったような顔も見せない。さすがというかなんというか。私も隙を見せないように気を付けなくちゃ。
「中学生はそこの角を右に曲がったところにいる。早く行くんだ。」
 先生、知ってたんなら最初から教えてよ。
 山元先輩を先頭に私たちはまた走り出した。なんとも遅いペースだけど今度は先頭を走りたくないから私は先輩のペースにあわせて一番後ろを走ることにした。
 それにしてもばればれか。あー、もう学校に行きたくない。これもみんなあの日の雷が悪いんだ。雷なんて本当に本当に絶対に嫌いだぁ。


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