第一章 望はノゾミ

 クラブの個人練習が終わって外に出てみると真っ暗。そりゃ、夏だと言っても8時近いんだから暗くても不思議はないんだけど、月も星もまるっきり見えないんだ。これは間違いなく雨雲だな。私の雷センサーがピピピピッって警戒音を出してるからもう絶対間違いないぜ。いやだなぁ。夕立だったらもっと早い時間に降ってくれないかなぁ。
 私は清川望。雷が大っ嫌いな女子高生。水泳部の個人練習で帰りはいつもこんな時間なんだけど、嫌だなって思ったことはないんだ。水泳が好きだし、夏の間はいつ夕立が来るかわからない夕方に帰るくらいならこの時間に帰った方がずっと安心できるからね。
「しかたがない。降る前にさっさと帰るしかないな。」
 私はバッグを背負うと駆け出した。家までは大体5キロ。私はいつもロードワークを兼ねて走って帰っているんだ。もちろん、一応女の子だから安全な道を選んで帰ってるぜ。雨宿りというか、雷よけのポイントだってちゃんと押さえてあるんだ。なにしろ私は本当に雷が嫌いで、もうぴかっと光ったりしたらしゃがみこんで一歩も動けなくなっちゃうくらいなんだ。いくらなんでもそんな姿を見られたら恥ずかしいだろ?だから人に見られないような所で隠れて雷をやり過ごすんだ。
 私が三つ目の雷よけのポイントに差し掛かったとき、ぽつぽつと雨が降り始めた。やばい、来る!ああっ、ごろごろいいはじめたような気がする。本当にやばい。早く隠れなくちゃ。
 私は酒屋の隣の路地に飛び込んだ。そこが三つ目の雷よけのポイントなんだ。路地と大通りの角には自動販売機があって、その後ろが今は使われていない酒屋の裏口だ。軒があるので雨はあたらないし大通りからは見えない絶好のポイントなんだ。
 ああっ、もう本当にごろごろ言ってる。私はしゃがみこんで目をきつく閉じ、両方の耳を強く押さえた。
 ぴっしゃーん、ごろごろごろ。
 きゃー、きゃー、きゃー、きゃー、きゃー。
 私は瞼を通して飛び込んできた稲光と両手を通して聞こえてきた雷鳴の間にほとんど間がなかったことに気が付いてしまった。ああ、もう。嫌いなんだから、そんなことに気が付きたくないのに……。
 ごろごろごろごろ。
 あーん、何とかしてぇ。どうして聞こえちゃうのよぉ。
 そのとき、私の前に誰かが立った。もちろん見たわけで聞いたわけでもないんだけど誰かが立ったと分かったんだ。そう、これはスイマーとしての勘かな。
 ……なーんて、そんなものあるはずないけど。
 ぴっしゃーん、ごろごろ。
 ひやぁぁ。そんなことのんきに考えている余裕はなかったんだぁ。とりあえず私は目の前に立っている誰かに声をかけてみた。
「だっ、誰?」
「…………。」
 あはは、そりゃそうだ。これだけ強く耳を押さえていたら聞こえるわけないよね。でも手を外すことはできない。ど、どうしよう。ファンの人かもしれないのに……。
 え?ああ、ファンの人ってのはね。実は私、水泳の日本記録を持ってるんだ。大会があるときなんてこの大通りにも「がんばれ清川望」なんて垂れ幕が下がったりして、ロードワークの最中にサインを求められることもあったりするんだ。
 ごろごろごろごろ。
 だからぁー。こんなことのんきに解説している暇はないんだってばぁ。
 そのとき前に立っている誰かが私の方にかがみ込む気配がした。まさか、ひょっとして痴漢?そんなぁ、痴漢と雷といっしょに来ないでよぉ。
「清川望君だね?」
 うわっ、おっきな声。いくらなんでもそんなに怒鳴らなくても聞こえるって。
「だっ、誰なの?」
 私の名前を知っているってことはファンの人?それともまさかご指名の痴漢?あーん、なんとかしてよぉ。
「ちっ、痴漢なら後にしてもらえます?」
 あ、私ったら何を言ってるんだろう。
「安心したまえ。痴漢ではない。君とちょっと話をしたいのだが、その様子では場所を変えた方が良いようだね。このすぐ先に地下の喫茶店がある。そこならば雷の影響は完璧に避けられると思うがどうかね。」
 ってことはファンの人?でも私は動けないんだってば。
「さあ、そこまで手を引いて行こう。」
 誰かは私のひじの近くをつかんだ。まあ、耳を押さえている手は掴めないからそこを掴むしかなんだけど……。それに私は耳から手を放すつもりはない。
 私はそのままの姿勢で目をつぶったまま立ち上がった。目の前の誰かは私の気持ちが分かったのかそのまま私を誘導するように手を引いてくれた。
「さあ、ここから階段だ。気を付けて降りてくたまえ。」
 結構激しい雨だったけどそれほど濡れないうちにまた軒の下に入った。本当にすぐ先に喫茶店があったんだ。知らなかったなぁ。
「扉を開けるよ。さあ、入ってくれたまえ。さあ、もう大丈夫だ。この扉は防音だからね。」
 私は目を開け、耳から手を外した。
「あれ?芝田先生?」
「私はそういう者ではない。さあ、その席に座ってくれ給え。」
 私は示された席に座ったけど、彼はまちがいなく芝田先生だ。サングラスをかけてスーツを着ているけど、床屋が嫌いとか言ってめったに切らないぼさぼさの髪といい、肌が弱いからといってめったにそらない無精髭といい芝田先生以外の何者でもないじゃないか。
「芝田先生なんでしょ?」
「私はそういう者ではない。ミスターSと呼んでくれたまえ。」
 そんなことを言ったってこれは芝田先生だ。芝田先生っていうのはうちの高校、きらめき高校の物理の先生なんだけど、年に何回か学会とか言っていなくなる結構有名な物理学者でもあるらしいんだ。自慢じゃないけど物理の授業もよく分からない私には芝田先生がなんで有名なんだか良く分からないけど、コンピュータークラブや漫研や特撮研に入っている人はみんなすごい人だって言ってる。ただのおたくじゃないのっていう人もいるけど、私はそういうのもよくわからないし、あんまり付き合いのない先生ってのが私にとっての芝田先生なんだ。
「でも芝田先生でしょ?」
 芝田先生はサングラスに手を当てて神経質そうにぴくぴく動かした。ほーら、やっぱり芝田先生じゃない。芝田先生はサングラスじゃなくてセルフレームの眼鏡をかけているんだけど、授業中にいらいらしたりするといつも今みたいに眼鏡をぴくぴくさせるんだ。
「私はそういう者ではない。ミスターSだ。」
 ああ、もうミスターSでもなんでもいいや。とりあえずここなら雷は聞こえないし、この雰囲気だとここはおごってもらえそうだし…。
「はいはい、ミスターS。で、私に話っていったい何なの?」
 ミスターSは眼鏡をハンカチで拭きはじめた。そう、これも満足したときの芝田先生の癖だ。だからこれは芝田先生に間違いないんだ。
「その前になにか注文しよう。」
 芝田先生……、じゃないミスターSは指をぱちんと鳴らした。
 ああ、もう今時そんなことをする人いないよ。でもまあ、奥の方からウエイターが来た。あれ?どこかで見たような?うーん、誰だったかなぁ。
「ご注文はなんですか? たいしたもんはありませんけど、普通の喫茶店にあるもんやったらあると思います。」
「おいおい、そんないいかげんな注文の取り方があるかい?」
 え?この関西弁……。私はウエイターの顔をまじまじと見てみた。
「やっ、山元先輩!」
 そのウエイターは間違いなく山元先輩だった。山元先輩ってのは……。あの、その、恥ずかしいんだけど、うちの高校で「清川望ファンクラブ」っていう同好会の管理人をしている人で……。いや、別に変なことをするようなクラブじゃなくて応援とかしてくれてありがたいんだけど、ちょっと気恥ずかしくて……。
「ぶー、私は山元先輩やないです。どこにでもおる普通のウエイターです。」
 そんなこと言ったって山元先輩じゃないか。
「何んなんだよ!この店は!」
 私は店内を見回してみた。あっ、あの席に座ってるのは間淵先輩!ううん、見間違いなんかじゃない。カメラを構えながらコーヒーを飲む人なんて他にいないぜ。間淵先輩は清川望ファンクラブで写真を担当している人なんだけど、いっつもカメラを構えていて素顔を見た人は一人もいないってもっぱらの評判なんだ。
 その隣の席にいるのは……。げげっ、早乙女君だ。あの女好き、こんなところで何をしてるんだ?まさかまた私のスリーサイズを探ろうとしてるんじゃ……。
 ううっ、ろくな奴がいないじゃないか。芝田先生、よりによってどうしてこんな店に私を連れ込んだの?
「落ち着きたまえ。ここは安全だ。ここには君を傷つけるものは誰もいない。」
 そりゃそうだ。こんなところで傷物にされたらかなわないよ。私はそりゃ男っぽいかもしれないけどあこがれている人だっているし、初めての人は……。あーん、私ったら何を考えているんだろう。
「私にはコーヒーを……。清川さん、君はどうするかね?」
「え?あっ、私はチョコレートパフェ。」
 うん。私はチョコレートが大好きで……、ってそんなことを考えている場合じゃないんだってばぁ。
「コーヒーにチョコパですか?多分できる思いますんで、ちょっと待ってください。」
 え?何もしないで戻っていった。ほかの連中もこっちを見ない。ひょっとして私の勘違い?ううん、そんなことはない。間淵さんがいて写真を撮らないわけないし、早乙女君がいて私の秘密を探ろうとしないわけないし、山元先輩にいたっては……。あー、もう想像したくない。はやくここから抜け出さなくっちゃ。
「あのー、芝田先生?」
「ミ・ス・タ・ー・エ・ス」
 芝田先生、じゃないミスターSはにっこり微笑んだ。おっ、怒ってる。この微笑みはなかなか理解しない生徒に対して芝田先生がいつも見せる微笑みだぁ。
「みっ、ミスターS。話っていったいなんなんですか?」
 そのとき奥から山元先輩じゃないただのウエイターがコーヒーとチョコパを運んできた。うひゃー、なにこのチョコパ。板チョコが二枚もそのまま刺さってる。
「実は清川君。君にお願いがあるんだ。」
 その言葉は板チョコが二枚も刺さったチョコパを見て緩んでしまった頬と、カロリー計算を仕掛かった頭を一気に現実に引き戻した。
「お願い?」
 私は奥に戻ってゆくウエイターの後ろ姿とほかの席の客に視線を走らせた。不穏な雰囲気は一応ないけど用心して聞かないと……。
「どんなお願いなんですか?」
「その前に清川君。君はこのきらめき市の現状に関してどう思う?」
 きらめき市の現状?そんなのわからないよ。別にどこといって特徴のない普通の市だし、政治のことなんか聞かれたって私にはわからないよ。
 私が黙っているとミスターS(芝田先生なんだけどなぁ。)は言葉を続けた。
「最近のきらめき市の無法状態には目があまると思わないかい?」
「無法状態?」
 私が知らないうちにきらめき市は無法都市になっていた?そんなばかな。そりゃ、私と違って電車通学している女子はあいかわらず痴漢に遭うみたいだし、夜は暴走族が走ってうるさいけど、無法都市と言うほどのことはないと思う。
「それほどのことはないと思いますけど……。」
 ミスターS(くどいようだけど芝田先生だと思うんだ……。)はにっこり笑って話を続けた。あー、だから怒らないでよぉ。
「信号を守らない高校生。道幅いっぱいに並んで走る自転車。閉店まで満員のゲームセンター。エロ本まがいの同人誌を売る同人誌ショップ。許せないと思わないかい?」
 思わない、って応えるわけにはいかないんだろうなぁ。でもそれって無法状態っていうほどのことなの?クラブに入っていない連中は暇だからそんなことをするかもしれないけど、それにしたって無法状態ねぇ。うーん、無法状態……。
「ここにあつまっているのはきらめき市の将来を憂えてる人々だ。」
 私があたりを見回すと山元先輩も間淵先輩も早乙女君のその言葉を聞いて肩をすくめた。やっぱり全然憂えていないんだ。そうだよな。そんなメンバーじゃないもん。
 って、やっぱりつるんでるんじゃないかぁ。さっさと逃げ出さなくっちゃ。でも今逃げ出そうとしたら……。芝田先生のほかに間淵先輩と早乙女君を倒さないと扉まで行けない。どうしたらいいんだろう。
「そこで我々の君への頼みというのは君にこの無法状態を解消するための正義の戦隊キラメキマンの一員になってもらいたいということだ。」
 まず、芝田先生にはテーブルをぶつけて、間淵先輩には砂糖壷をぶつけて……。え?キラメキマン?なにそれ?
「キラメキマンって、それって……。」
「名前は既に決めてある。キラメキピンクこと、美少女スイマーノゾミ。それが君の名前だ。戦闘服もすでに用意してある。」
 ミスターSは指をまた指をぱちんと鳴らした。だから、それって今時誰もしないってば……、じゃなくってぇ。
「ちょっ、ちょっと待って。」
 そのとき、奥からウエイターが持ってきた戦闘服を見て私の目は丸くなった。もちろん、自分じゃ見えないけど絶対に丸くなった。だって、その服は……。
「そっ、それって競泳水着じゃないですか!」
 ミスターSはにやっと笑った。これは怒っているんじゃなくって喜んでいるらしい。競泳水着で喜ぶなんて変態じゃないか。芝田先生っておたくかもしれないとは思っていたけどまさか変態だったなんて…。
「これはただの競泳水着ではない。このミスターSの科学力の結晶。パワーアシストおよびショックアブソーバー機能を搭載した世界に一つしかないノゾミのための戦闘服なのだ!」
 なーんだ。競泳水着だから喜んでいたわけじゃなかったんだ。変態だなんて思って悪かったかな。って、だからそんなことを考えている場合じゃないんだってば。
「で、でもそれってどう見ても競泳水着じゃ……。」
「ふっふっふっ。」
 ミスターSは嬉しそうに笑った。
「ダーティーペアの昔から戦闘服は一見水着と相場が決まっている。」
 なーんだ、やっぱり変態じゃなくておたくだったのか……、だからそういう問題じゃないんだってばぁ。
「そっ、そんなの着れないよ。」
 だって、これってただの競泳水着じゃないんだ。色が……。色がラメ入りのピンクなんだ。いったいどこからこんなのを探してきたんだ、芝田先生は……。
「おや、清川君。君は毎日、水着を着ているんじゃなかったかい。」
 こっ、こんなの着てないって。
「それに君はこの要請を拒否することはできない。拒否した場合、君のこの恥ずかしい写真が写真週刊誌に送られることになる。」
 はっ、恥ずかしい写真っていったい……。あっ、これはさっき私が雷を避けてうずくまっている写真!
「日本水泳界の星、清川望の意外な一面。ああっ、タイトルが目に浮かぶようだね。あっ、ビデオにも撮ってあるからお昼のワイドショーでも特集が組まれることだろうね。」
 そっ、それが教師のすること?
「そればかりじゃない。我々の豊富なコネを生かせば、二学期の中間試験から物理の試験の難易度が劇的にあがるだろう。もちろん、スポーツ特待生の君は赤点を取っても関係ないかもしれないが、その試験結果が廊下に張り出されるとしたらどうだろう?」
 そっ、そんなのコネもなにもないじゃないか。ずるいよ、先生。
「やってくれるね?」
 私はしかたなくうなずいた。だって、そうするしかないじゃないか。
「それでは君にキラメキマンの他のメンバーを紹介しよう。集合だ!キラメキマン。」
 奥から山元先輩が、それぞれの席から間淵先輩と早乙女君が集まってきた。でもみんなすっごく嫌そうな顔をしてる。あっ、もしかしてみんな私みたいに罠にはまってメンバーにされたんじゃ……。
「紹介しよう。リーダーのキラメキブラックこと山元但だ。」
「ある時は謎のウエイター、またある時は清川望ファンクラブの管理人、しかしてその実態はキラメキ市の平和を守る正義の戦士キラメキブラックことタキシードマスクだ。」
 ううっ、山元先輩ってばすっごく嫌そう。ひょっとしてこの恥ずかしい名乗りを考えたのは芝田先生?関西弁じゃないし、きっとそうだ。
「次にキラメキグリーンこと間淵睦美。」
「上からでも下からでも、そこに被写体がある限り、撮れないものはけっしてない。キラメキ市の平和を守る正義の戦士キラメキグリーンことカメラーマン。」
 ああっ、間淵先輩泣いてる。ううん、目は見えないんだけど、構えたカメラの下に流れてるのは絶対に汗じゃない。
「そして、キラメキレッドこと早乙女好雄」
「女のことなら俺に任せろ。きらめき市きっての女好き。キラメキ市の平和を守る正義の戦士キラメキレッドこと女頭巾とは俺のことだぁ。」
 あれ?早乙女君は泣いてない?もう開き直ったのかなぁ。他の二人と違って言ってることにどこも間違いがないからな。まあ、ネーミングセンスは最悪だけど。
「あと一人、キラメキイエローがいるんだが、今日は諸般の事情でここには来ていない。そして君が5人目の戦士、キラメキピンクこと美少女スイマーノゾミだというわけだ。」
 そうだ、他人に同情している余裕はなかったんだ。
「では君にはこのノゾミウォッチを渡そう。先ほど見せた戦闘服はレプリカだ。本物はこの時計の中に内蔵されていて、この赤いボタンを押すと瞬着される。」
「しゅ、瞬着……。」
「指令もこの時計を通じて送られる。マニュアルはこれだ。戦闘服装着時の必殺技もこのマニュアルに書いてある。今週中にマスターしておいてくれたまえ。特に変身後の決めのポーズはしっかり練習しておくように。いいね?」
 やだって言わせてくれないのに、いいねなんて聞かないで欲しいな。なんてもちろん言えないし、私はうなずいた。
「さあ、遅い夕立も終わったようだ。これ以上遅くなってご両親に心配をかけるわけにはいかない。そろそろ帰ろうか。それからチョコパは800円だから…。」
「えー、おごりじゃないんですか?」
 そんな場合じゃないってことは分かっているんだけど、私は思わず叫んでしまった。だって、これでおごりじゃなかったら私っていいとこなしじゃないか。
「ばかもの!安月給の高校教師にたかるんじゃない。」
「え?高校教師?だってあなたってミスターSなんでしょ。」
 ミスターSは口を半開きにして硬直した。そうこれは鋭い指摘をされたときの芝田先生のくせだ。
「し、しかたがない。今回は私が払おう。しかし、今回だけだぞ。高校教師なのはちょっとした勘違いだが、安月給なのは事実なのだから。」
 よし、とりあえずいいとこなしだけは免れたな。空しい勝利ではあるけれど……。
 私はそのむなしい勝利だけを手に席を立った。見回すと、山元先輩が、間淵先輩が、早乙女君が、寂しげな視線を私に向けていた。そうだ、もう私たちは仲間なんだ。さっきは怪しいなんて思ってごめんね。そりゃ、やっぱり怪しかったけど、これからは私も怪しいメンバーの一員なんだ。
 そんなことを考えていたら涙がこぼれそうになった。いけない。ここで涙を流すのはぜったいにまずい。そんなことをしたらまた写真を撮られて今度はどんなことをさせられるか……。
 私は急いで喫茶店から出て一気に階段を駆け登った。帰る前に入り口にある看板を確認してみると、げげっ、喫茶キラメキマン?し、芝田先生。ネーミングのセンスがあまりにそのまんまだよ。まあ、そう考えるとノゾミなんてまだましなネーミングだよね。カメラーマンとか女頭巾とか目も当てられないもん。
 そこまで考えたときについに私の目から涙がこぼれはじめた。とにかく明日からは帰るコースを変えよう。もう今更遅いけど、でもここだけは二度と通りたくない。
 空はもうすっかり晴れている。私はため息を吐いて家へ向かって走り出した。
 とにかく、こうして私の人生の中でもっとも不幸な事件は終わった。いや、全然終わってなんかいない。もっとも不幸な事件はまだ始まったばかりなんだ。あー、これもみんな雷が悪いんだ。雷なんて本当に本当に絶対に嫌いだぁ。


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