時期 |
所有機種 |
覚え書き |
〜1985年 |
なし
電子ブロック(所有)
家庭用ゲーム機(友人宅)
FM-7(友人宅)
ファミコン(所有)
ファミリーベーシック(所有)
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-小さいころはエレベーターをはじめとするボタン類が大好きで、何かと押したがる子供だった。<完全な余談
-小学生のころ、電子ブロックで遊ぶ(といっても考えるのは面倒なのでガイドに沿って回路を組んでラジオを作るのが関の山)。
-小学生の頃、友人宅で初期のゲーム機で遊ぶ。欲しかったがねだっても買ってもらえなかったので諦める。
-中学1年の頃からパソコンに興味を持ち始める。ボタンがたくさんついていて楽しそうだったから。パソコンサンデーを見始める。
-中学1〜2年頃友人宅でFM-7に触る。また、隣駅にあったダイエー系列のスーパーの電気売り場にMZ-700をよく見に行っていた。
-中学2年、弟とお年玉を使って共同でファミコンを買う。自宅での初のゲーム機。
-中学3年の頃、ファミリーベーシック購入。ベーマガを買い始め、プログラムを打ち込んだり、自分でキャラクターが動くだけのプログラムを書いたりして遊ぶ。 |
1985〜1988年
SHARP信者前期 |
X1 turbo model10
-FDD(後から購入)
-EPSON Printer(もらい物だったような)
-FM音源ボード(も後で買ったような・・)
-ジョイスティック数種
SEGA MarkIII
PC-88(友人宅で少しだけ) |
-高校進学と同時に親にお願いしてパソコンを買ってもらうことに。MZ-1500が欲しかったのだが、Oh!MZのX1特集を見て心変わり。初秋葉原でロケット本店にてX1
turbo model10を購入。父と電車で持ち帰る(笑)。
-最初のうちこそBASIC上で漢字変換(当然単漢字変換)でワープロの真似事やらBASICでプログラムを打ち込んだりしていたが、すぐに本来の目的のゲーム用途専用に。
-Oh!MZ上の記事が購入の大きな要因となった電波新聞社製XEVIOUSを購入。はまる。
-忘れてはならないのが純正モニター。自室に初めてきたテレビとしても活用される。ただし当時の自室にはアンテナが来ていなかったので室内アンテナでとても見づらかった。
-たしかこの頃、友人とMarkIIIファンに。ファミコンよりMarkIIIのほうが優れてるぜぇってな感じで投資する。FM音源モジュールを盲信していてMarkIII版アウトランのBGMに愕然とする(笑)。 |
1988〜1992年
SHARP信者後期 |
X68000(初代 黒)
-40MB HDD
-イメージユニット
-純正カラー熱転写プリンタ
-サイバースティック
-1200bpsモデム
-2400bpsモデム
PCEngine |
-大学が決まってから猛烈にアルバイトして、35万円ほど貯めて九十九電機にてX68000購入。
-当然最初はゲーム三昧。だってそれが目的だもん。
-人生の転機とも言えるモデム入手(ちと大げさ)。パソコン通信にはまる。といっても一番電話代を使ったときで4万円ほどなので、世の中には(今でも)上には上がいる。
-思い出の地(ネット)、HEMO-NETに入り浸る。シスオペの家にお邪魔したり、深夜にオフ会と言って遊びに出かけたり。X68ユーザーが多かったこともあり、Human68Kのスキルを上げる。これが後に結構役に立った(MS-DOSの知識としてだけど)。ついてに山ほどネット上の喧嘩、トラブルを目の当たりにした(当事者になった記憶はあまりない)。
-たしか大学在学中にHEMO-NETはユーザー間のトラブルに嫌気が差したシスオペ氏が休止を宣言し、そのまま消えていった。
-X68ユーザーとして過ごす間にこの業界、いいものが売れるとは限らないことを思い知る。 |
1992〜1994年
ノート収集期 |
PC9801 NS/T
PowerBook140
ThinkPad220/230Cs
-SCSI PCMCIA
-External CD-ROM(標準速)
IBM PC(職場 PS/55 S/Tモデル等)
AS/400(お仕事でメインに扱った)
RS/6000(お仕事でアプリケーションのテスト)
スーパーファミコン(・・・このころ?) |
-コンピュータ会社(今ならIT企業というべきか)に就職が決まり、仕事で使えるパソコンが欲しくなったのでPC9801NS/Tを買う。ちなみに入った会社はIBM系(爆)。
-それでも臆することなく(笑)、社内で公然と98を使い仕事をする。Windows3.1が出た頃、(社内では)いち早くインストールし、役立てて見せる。社内サポートみたいな部署だったのでレポートをまとめた覚えがある。
-社内出向のような形で半年ほど別の部署にヘルプに出た際、そこの先輩からPowerBook140を譲り受ける。10万円。自分の中のMac幻想が崩れたときであった。なんだ、たいしたことないや・・ってな感じ。
-IBMのPCの質実剛健さとつくりの良さにほれてしまっていた私は、ThinkPad220を購入。所有マシンとしてははじめてのDOS/V。
-あるイベントショーで発表された230Csに一目ぼれしてしまい、220を会社の先輩に買ってもらい、同時に98NST,PowerBookを手放して資金にし、購入。4台目にしてはじめてのカラーノート。
-OS/2に心酔し始めたのもこの頃。J2.1のつくりの良さはWindows3.xとは比べ物にならなかった。職場のPS/55では遅くてたまらなかったが230Csならまぁそこそこ動いた。Warpで多少軽くなったし。 |
1994〜1998年
Aptiva期 |
Aptiva530
- 改造のため多額の投資
プレイステーション
IBM PC多数
PC350(職場) |
-転職。某社コールセンターで技術Q&Aに従事する。
-当然回りはPCだらけ。なんで何を使ったを書くときりが無い(^^;)。
-Windows95の登場で一応Windowsをメインに使用するようになる。
-530の遅さからCPUをAMDの5x86に換える。これがAptiva改造道のはじまり。
-ひょんなことからAptivaHモデルのマザーボードだけをもらう。530が夢のPentiumマシンに。最初はP54C133MHz、最終的にはMMX
Pentium200MHzに化けていた。
-ビデオはカノープスのビデオキャプチャー機能つき。X1->X68->Aptivaと3台続けてテレビとしても活躍(^^;)。これまでと違って他の作業をしながらでも見ることができたので重宝する。
-MWaveアダプターをもらい、いろいろ弄って人よりほんの少しだけ詳しくなる。
-これらの作業がきっかけでこのTone's
HomePageを立ち上げることになる。
-1998年に再度転職。職場のメインPCがPC350(PentiumPro200MHz)になる。 |
1998〜2000年 |
ThinkPad235
Naruzoh(自作機)
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-新たなサブノートがどうしても欲しくて235購入。
-職場と自宅の間をに1日も欠かさず持って歩く。
-235を業務で使用する傍ら、エミュレータを快適に使用したいがために自作期構築。 |
2000年〜 |
ThinkPad X20 |
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