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	バレーボール

 ポーン。軽快な音と共にバレーボールが高く宙に舞う。
 夏服に衣替えしたばかりの生徒たちが思い思いに遊ぶ昼休みの校庭で、清川望、片桐彩子、如月未緒、
早乙女好雄の四人はバレーボールをしていた。6月に入って間もないこの時期、日差しはかなり強いものの
風はまだ涼しい。もう何日かで梅雨入りしてしまう、ほんの数日しかない一年でもっとも過ごしやすい
季節だった。
「はい、望。」
 好雄から回ってきたボールを彩子は大きく望に返した。ボールと共に彼女の髪もぽんと跳ねる。
「よーし、だぁー。」
 望はボールが落ちてくるところを大きくジャンプしトスでボールを高く打ち上げた。人一倍動き回る
望は既に心地好い汗をかいていて、それが着地と共につうっと頬を伝った。
「うわぁ、何やってんだよ。清川さん。」
  好雄が大きく遠く飛んでいったボールを必死に追い掛ける。運動の苦手なガールフレンドの未緒の
フォローまでしている好雄は望以上に汗をかき、シャツにも汗が浮いていた。
「ごっめーん。」
「早乙女くーん。ファイトォ。」
 しかし、ボールは伝説の木から大きく張り出した枝にぶつかり、好雄の予想と異なる方向に落ちるコースを
変えた。
「えーい、早乙女好雄をなめるんじゃなーい。」
 好雄はざっとステップを踏んで体の向きを変えるとボールに向かって豪快に滑り込んだ。しかし、ボールは
その好雄の手の50センチほど先にポンと落ちた。
「口ほどにないなぁ、早乙女君。」
  好雄はしばらく滑り込んだ姿勢のまま倒れていたが、がばっと起き上がり、まだ転がっているボールを
追い掛ける。
「何言ってんだよ、清川さん。君があんまり遠くに飛ばすからだろ。」
 好雄はようやく追い付いたボールを拾い上げて望たちのところに戻ってきた。
「わっるい、悪い。」
「わぉ、好雄君。ズボンもシャツも真っ黒。イッツソーバッド。」
 確かに好雄の服は砂まみれだった。そればかりか顔にかかった砂も汗のため顔に張り付いていた。口にも
若干入ったのか好雄は唾をぺっと吐いた。
「まあ、本当に……。」
 心配そうな顔をして未緒が好雄の服をはたこうとする。
「いいよ、自分でするよ。」
 女好きと噂されていても、意外に純情な好雄はボールを打ち上げると未緒を制して自分で服をはたき始めた。
 好雄の打ったボールは大きい弧を描き彩子に向かって飛ぶ。ボールを彩子はそのボールを今度は低めに
望に回した。
「ふー、夏にはまだ早いのにお暑い……。」
 しかし、彩子が最後まで言いきる前に望の声がそれに被さった。
「それ、早乙女君。アターック。」
 どこっと鈍い音がしてボールは好雄の胸にぶつかった。反動で好雄は尻餅をつく。
「なっ、なんだよ。清川さん。」
 望は丁度自分の前に跳ね返ってきたボールを拾い上げながら、ちょっと眉をしかめて答えた。
「ふん、自分達だけ幸せだと思って。見せつけられる方がたまらないよぉ。」
 彩子がくすくす笑う。未緒も少し赤くなりながら笑う。しかし、好雄はそういう冷やかしには慣れていない
ため真っ赤になりながら答えた。
「べっ、別に見せつけてなんか……。」
 望はにっこり笑って、ボールを一度地面にバウンドさせ今度は緩くボールを打ち上げた。
「分かってるって。ちょっとからかっただけだろ。」
 ポーン、ポーン。ボールが軽快に打ち上げられる。好雄は自分のところに飛んできたボールを打ち上げると
すかさずズボンやシャツをはたく。それがおもしろいのか望も彩子も執拗に好雄にボールを集める。
「だーっ。もう、俺のところにばっかりボールを送るなぁ。」
 好雄は高くボールを打ち上げた。初夏の空をボールが鋭く切り裂いてゆく。
「よし、任せろ。」
 望がそのボールを追い掛けてさらに高く打ち上げた。そのボールは未緒の方へ飛んだ。
「え?あっ。」
「ドンウォーリー、私に任せて。」
 彩子が回り込んでそのボールを、トスでは取れないと思ったのかアンダーハンドで打ち上げた。
 ポーン、ポーン。再びボールが軽快に宙に舞う。皆の口もなぜか止る。まるで、言葉の変わりにボールを
打ち合うことで会話しているかのように……。
 ポーン、ポーン。しばらく打ち合いが続いたあと、望が唐突に言った。
「こうしてボールを打ち上げているとさ。思い出すことがあるんだ。」
 ポーン、ポーン。
「あっ、俺も俺も。ウルトラセブンだろ。」
 ばしっ、望がボールを好雄の足下に強く打ち込んだ。
「だあっ。」
 好雄は避けきれず向こう脛にボールを喰って手をついて倒れた。
「なんだよ、それは。どうせ私のイメージはウルトラセブンだよ。」
 転がってきたボールを彩子は拾い上げた。望に悪いとは思いながら確かにそういうイメージだという考えから
つい笑ってしまう。しかし、彼女の口から出た言葉はそれを否定するものだった。
「そんなこと考えるのは好雄君だけだよ。はい、未緒ちゃん。」
 彩子は運動が苦手な未緒のことを考えて緩めにボールを打ち上げた。
「そうですね。私もそう思います。」
 好雄は頭を掻きながら立ち上がって、
「そうかなぁ。じゃあ、清川さん。何を思い出すんだよ。」
 望はボールを打ち返しながら答えた。
「うん、紙風船の歌なんだけど、今度はもっともっと高く打ち上げようって歌なんだ。」
 ポーン。彩子がそのボールを打ち返す。
「なにそれ?私知らない。」
「黒田三郎ですね。」
 未緒の言葉に驚いて望は飛んできたボールをキャッチしてしまった。
「え?黒田三郎?だれそれ?」
 今度は望の言葉に未緒が驚いた。
「紙風船、ですよね?それなら黒田三郎の詩です。」
 望は頭を掻いた。
「そうなの?私はラジオで聞いた歌のことだったんだけど……。」
「ねっ、ねっ。それってどんなの?聞きたいなぁ。」
 いつのまにか四人は四人で作っていた輪の中央に集まっていた。望はばりばりと頭を掻いた。
「いや、良く覚えていないんだけど……。」
 彩子と好雄の視線が期待するように未緒に集まった。遅れて望も未緒に視線を送る。それに気が付いた未緒は
少し困ったような顔をして言った。
「黒田三郎の紙風船ですね?ちょっとうろ覚えですけど……。」
 未緒はそこで一息ついた。しかし、そこで誰も口をはさまない。未緒はみんなの顔を見回して。決心したかの
ように暗唱を始めた。
「黒田三郎、紙風船。
  落ちてきたら
  今度は高く
  もっともっと高く
  打ち上げよう
  美しい願い事のように」
 未緒の暗唱が終わっても、三人は誰も口を聞こうとしない。未緒は少々不安になり望に聞いた。
「あの、この詩のことですよね?」
 望はバンとボールを地面に叩き付けて言った。
「ねっ、いいでしょ?」
 未緒はきょとんとした顔で望を見つめる。
「ふーん、なかなかね。」
 彩子がしたり顔でコメントした。
 好雄はいたずらっぽく微笑んで続けて言った。
「よーし、それなら俺たちもやってみようぜ。」
 一同は不思議そうな顔をして好雄を見つめる。
「やってみるって、一体何をやるんだよ。」
 好雄は望の持っているボールを取ると何歩か下がって答えた。
「もちろん、もっともっと高く打ち上げるのさ。」
 三人はしばらくキョトンとした顔で好雄を見つめていたが。すぐに嬉しそうに微笑んで輪になるように何歩か
下がった。
「そうですね。それは素敵ですね。」
「よーし、やるぞぉ。」
「早乙女君。イッツソーナイスアイディア。」
 好雄がボールを打ち上げる。
 ポーン、ポーン。ボールは徐々に高さを増していった。
「そりゃ。」
 好雄は思い切り高くボールを打ち上げた。
「よーし、後は任せろ。」
 望はボールの下に回り込んでぐっと屈み、大きくジャンプしてボールを高く打ち上げた。
 ポーン、ボールは高く高く上がった。四人はそれをじっと見つめた。そして同時に考えた。もうこのボールが
落ちてこなければよいのにと……。

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