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    ごめん

 山元忠志は特に目立つ生徒ではなかった。成績は悪くはないもの
学年で百位あたりをうろうろ、スポーツもさほど強いとは言えない
きらめき高校柔道部でですらレギュラーになれるかなれないかとい
う状態、顔も良くなし悪くなし、いわば平均的な生徒であった。
 一方、清川望はきらめき高校の、というより日本の水泳界のエー
ス、本人に自覚はないものの男子生徒の間ではかわいいと評判で、
成績こそ最下層を走ってはいるが、学園中の注目を集めている存在
だった。

「えー?山元忠志?アンビリーバブル!一体彼のどこが気に入った
の?」
 片桐彩子はすっとんきょうな声を上げた。喫茶店中の視線が一気
に集まる。
「ちょっ、ちょっと彩子。声が大きいよ。」
 清川望の頬が一気に赤くなり、伏せ目がちに辺りを見回す。幸い、
知合いはいないようだった。
「でも意外だなぁ。ねぇ、彼のどこが気に入ったの?」
 彩子はほとんど飲みきったアイスコーヒーの中の氷をストローで
くるくるかき混ぜながら望に言った。目がいたずらっぽく輝いてい
る。
 望はますます赤くなり、むきになって答えた。
「別にそんなんじゃないよ。彩子がしつこく聞くからそれなら山元
君かなって言っただけだよ。」
「ふふーん。」
 彩子はストローで望をぴっと差す。
「そんなのってどんなのかなぁ。」
 望はとっくに飲み干してしまった紅茶に砂糖やミルクを入れる。
匙でかき混ぜてみるがかちゃかちゃ音がするばかりでもとより溶け
きるはずがない。顔は頬といわずおでこといわず全体が真っ赤にそ
まり、彩子でなくても動揺は一目瞭然だった。
 望はなにやらぶつぶつ呟いていたが、突然それもかなりわざとら
しく腕時計に目を走らせて叫んだ。
「あっ、大変。もうこんな時間!早く行こう、彩子。映画が始まっ
ちゃうよ。」
 望は勢いよく立ち上がり伝票を掴んでレジに向かう。そのあまり
に露骨な逃げ方に彩子は思わず笑ってしまう。
「望ったら、もう、可愛いんだから。」
 ほとんど走るように喫茶店から出ていった望を彩子は慌てて追い
かけた。

 昼休み、弁当を食べ終わった忠志は教室で親しい友人たちとなに
やらばか話をしていた。ボクシングの真似をしているところを見る
とどうやら昨夜の世界戦の話をしているようだ。
 話に夢中になり身振りがだんだん大きくなる。ストレートのつも
りか、大きくすっとすばやく腕を引いたところ、後ろに立っていた
友人の腹にエルボーが入ってしまった。忠志は謝ろうと慌てて椅子
から立ちあがろうとしたが、ふとももを机にしこたまぶつけて机を
ひっくり返し、自分は椅子から転げ落ちてしまった。
「と、まあ、こんな感じの奴だよ。」
 教室の後ろの扉あたりから忠志の様子を見ていた早乙女好雄がや
はり隣で忠志を観察していた彩子にそう言った。
「ふーん。」
 彩子は何に感心したのかそう呟いた。
「で、何で突然山元のことなんか俺に聞いたんだ?」
 好雄はどこからともなくメモ帳を取り出すと何やら書き付けなが
らそう尋ねた。
「べっつにー。ただちょっと気になることがあるのよ。」
「ふーん。」
 好雄は何を納得したのかすごい勢いでメモを書きながら気の無い
返事をした。
「ねぇ、早乙女君。彼って、ガールフレンドとかいるのかなぁ。」
 好雄は書き終わったメモをぱたんと閉じるときっぱりと答えた。
「いや、いないね。このハートフルでハンサムな好雄様にもいない
のにあんな奴にいるわけないじゃないか。」
 彩子は突然大笑いして、好雄の肩をばんばん叩いた。
「ハートフルでハンサム?それって誰のこと?」
「なんだよ傷つくなぁ。」
 とは言いながら、最初から受けを狙ってそういった好雄は期待し
た反応が返ってきて十分満足そうだった。
「それにあいつは鏡ファンクラブに入ってるからな。」
 彩子の笑いがぴたっと止まった。
「え?鏡ファンクラブ?」
「ほら、鏡魅羅っているだろ?ハデハデでいつもぞろぞろ男を連れ
て歩いてる。」
 彩子がこくりと肯く。
「アイノー。知ってるわ。」
「あの後ろにぞろぞろくっついているのがファンクラブなんだよ。
えーと……。」
 好雄はさっきのメモ帳をぱらぱらめくった。目的のページはすぐ
に見つかり続けていった。
「山元は……、会員番号15番。へー、かなり初期からの
メンバーだな。」
 彩子は忠志に視線を投げかける。
「ふーん、彼がねぇ。」

 望と彩子は音楽室に向かって走っていた。その日、彩子は日直で
前の時間の授業が少々延びた上、びっしり書き込まれていた黒板を
消していて準備が遅れたのだ。
「ウェイト、望。ちょっと待ってよ。」
 彩子が何も言わないでいると、望の走る速さはどんどん上がって
しまう。望はさほど早いとは感じていないようだが彩子にしてみれ
ばこれ以上速く走ると全速力になってしまう。そして廊下を全速力
で走るなんてことは彩子にはとてもできない相談だった。
「ほら、急いで彩子。遅れちゃうよ。」
 そうは言いながら望はスピードを落とした。望は日直ではなかっ
たが、もう一人の男子の日直が何もしないで音楽室へ行ってしまっ
たため彩子を手伝っていたのだ。
「大丈夫だよ、望、後二分あるから……。」
 さらにスピードを落とそうとする彩子の手を望は引っ張った。
「そんな目盛もろくにない時計で何が二分だよ。もうすぐ鳴っちゃ
うよ。急いで、急いで。」
 彩子は引きずられるように走っていった。再び走る速さが徐々に
上がっていった。
「ちょっ、ちょっと、望!」
 望の足がぴたっと止まり、彩子から手が離れた。
 一息ついた彩子が見てみると望はある教室の中を見つめていた。
「望?」
「あっ、ごめん。」
 望は再び走り始めた。もう彩子の手を引かなかった。
「望、今の山元君の教室だよね?」
「そっ、そうだっけ?」
 前を走る望の顔は彩子からは見えない。しかし声は上ずっている。
振り返ろうとしないところを見ると顔が赤くなっているのを自覚し
ているのだろうと彩子は思った。
「山元君いた?」
「あー、もう間に合わない。急ごう。」
 望は返事の代わりにそう叫ぶと彩子を置いて走っていった。彩子
にはそれは逃げ出しているように見えた。

 好雄と彩子は廊下の突き当たりからこちらに向かって歩いてくる
鏡魅羅と取り巻きたちを観察していた。
「さあ、魅羅様御一行様の御登場だ。」
「ふーん。」
 彩子は取り巻きたちの顔を品定めした。彼らの顔はにこにこ笑っ
ているというよりこびへつらっているように彩子には見えた。
「だっらしない連中ねぇ。でも山元君がいないみたいだけど?」
 彩子の指摘どおり魅羅の周りには忠志の姿はなかった。
「ん?ああ。」
 好雄も言われて初めて気がついたようだ。その種の情報は載って
いないのか自慢のメモ帳も開かず好雄は考え込んだ。
「そういえば、山元の奴、昼間はあんまり取り巻き連中の中には見
かけないなぁ。」
 彩子は不審そうに眉をしかめた。
「昼間は?それってまさか夜つきまとってるってこと?それじゃス
トーカーじゃない!」
 好雄は何が嬉しいのかにこにこ笑いながら首を振った。
「ちがう、ちがう。放課後だよ、放課後。山元はたまに鏡さんといっ
しょに下校しているらしいんだ。」
「へー、彼女って放課後まで連中を従えているんだ。」
 彩子は再び視線を鏡魅羅様御一行に向けた。ファンクラブのメン
バーは魅羅が彩子が知らない女生徒と話しているちょっと後ろに従
順そうに従っていた。
 彩子は心の底から嫌悪感が沸き上がった。望が何といっても山元
君だけは止めさせようと彩子は思った。
「いや、彼女はたいてい一人で帰るんだけど、山元だけはたまに
いっしょに帰っているみたいなんだ。」
 彩子は驚いて好雄の顔を見詰め、魅羅に視線を走らせ、再び好雄
を見つめた。
「それって、まさか山元君が鏡さんと付き合ってるってこ
と?」
 好雄は大声で笑い始めた。よっぽどおかしいのか彩子の肩をばん
ばん叩く。
「んなわけないって!」
「じゃ、なんで山元君だけ特別なの?」
 彩子は好雄の手をがしっと握った。真剣な目で好雄を見つめる。
 好雄も彩子の真剣そうな様子に気おされたのか真顔で答えた。
「え?いや、山元があんまりしつこく誘うから鏡さんが根負けした
んじゃないかなぁ。」
「しつこく?」
「そう、もう一年の頃からずっと誘ってたから……。」
 彩子は腕を組んでじっと考え込んだ。もしかしたら忠志に対する
印象が間違っていたかもしれない。彩子はそう思った。

「ねぇ、それって……。」
「しーっ、奴等が来る。」
 いつのまに魅羅の話が終わったのか、魅羅たちは彩子のすぐ前ま
で歩いてきていた。
 彩子はもう一度、魅羅の取り巻きたちの顔を眺めた。相変わらず
いけすかない顔だったが、忠志に対する印象だけは変わりつつあっ
た。

「ハーイ、望。」
 練習が終わり、プールから出てきた望の肩を彩子が叩いた。
「あれ?彩子。どうしたの?こんなに遅く……。」
 望は通常の水泳部の練習の他に残って特別練習を受けている。そ
のため、今の時間は7時すぎ、彩子の所属する美術部はとっくに終
わっている時間だった。
「ん、ちょっと望に話したいことがあってね。」
 彩子ははっきりした性格で望にはいつも言いたいことは遠慮無く
言う。こんな前置きをして話し始めることなどめったに無い。
「どうしたんだよ、彩子。珍しいじゃないか。」
 望は彩子の態度が妙だとは思ったが特に気にしない。もともとあ
まり細かいことには拘らない性格の上、彩子の気まぐれな性格に慣
れるからだ。
「うん。」
 人影のまばらになった暗い校庭を二人で歩きながら彩子はなかな
か口を開こうとしない。
 よほど言いにくいことなんだろうか。望がそう思い、彩子に声を
かけようとしたまさにその時、彩子は唐突に言った。
「望、山元君が好きなんでしょ?」
 望の顔が一瞬で赤く染まる。彩子はその望の顔をじっと見つめる
が、見られているのが分かって望は彩子の方を見ようとはしない。
かといって露骨に顔を背けることも出来ない。
 望は不自然に前を向いたまま答えた。
「なっ、なんだよ、彩子。あれは……、ちょっと思い付いただけっ
て言ったじゃないか。」
 彩子を置いて歩いていこうとする望の手を掴んで彩子は強引に振
り返らせた。
「ごまかさないで、真面目な話なんだから。」
 彩子の真面目な態度に望は驚かされた。からかい半分で聞いてい
ないのは十分に分かった。しかし、だからと言ってこの問いに素直
に答えるには望は余りに内気だった。
 望はなおもごまかそうと口を開きかけた。
 そして、その時、望は彩子が心配そうな顔をしていることに気が
付いた。
「彩子?」
 望は不審そうな顔でそう言った。彩子が何を心配しているのかが
分からなかった。
 二人はしばらくお互いの顔をそのまま見つめていた。
「彩子?」
 望が再びそう言った。そしてそれを待っていたかのように彩子が
口を開いた。
「山元君は止めたほうが良いよ。」
「なっ、何を突然言い出すんだよ。」
 彩子の言葉はショックだった。しかしそれ以上になぜ彩子がそん
なことを言うのかが分からなかった。
 彩子が望の目をじっと覗き込む。望も思わずその目を見詰める。
「山元君ってさ鏡さんが好きなんだって。」
 彩子が真剣にそう言った。
 しかし、その言葉を聞いて望は笑ってしまった。
「なんだ、そんなことかぁ。」
 彩子は唖然として望を見つめる。望は彩子の肩をばんばん叩く。
「あいつ、鏡魅羅ファンクラブに入ってるんだろ?私だってそれく
らい知ってるよ。」
 望はくるっと振り返って歩き始めた。彩子はそれを慌てて追いか
ける。
「そんなことは別にいいんだよ。私だって別に彼と付き合いたいっ
てわけじゃないんだ。」
「の、望。」
 望は妙に陽気に歩き続ける。彩子はその姿に不安を感じてつい言っ
てしまった。
「望はそれでいいの?」
 望の歩みがぴたっと止まった。口にしてしまったことを彩子は後
悔した。
 前を歩く望の顔は彩子からは見えない。しかし心なしか望の肩が
震えているように彩子には見えた。
「いっ、いいんだ。別に……。」
 望はそう言うと彩子を振り払って走り出した。彩子は引き止めよ
うと手を出したが、その手は途中で止まってしまう。彩子はその手
をぎゅっと握り締めると走り去る望に向かって叫んだ。
「ごめん。望、ごめんねぇー。」

 昼休みだというのに望は食事もしようとせずぼんやりと考え事を
していた。朝錬で疲れていることもあり、いつもならクラスでも一
番に弁当を広げる望だったが今日はなぜか食欲がない。
 彩子は自分の弁当を胸に抱えてそんな望の様子を見つめていた。
 えーい、こんなの私らしくない。彩子はそう思い、望の方に歩き
出した。
 彩子が望の前に立っても望は彩子を見ようとしない。無視してい
るのとは違う。彩子が目に入っていないという風情だった。
 彩子は望の前の席の椅子をくるっと回し、望の前に座った。
「望、昨日はごめん。いっしょにお弁当食べない?」
 望はぼんやりと彩子を見つめる。ちょっと口を開くが言葉は出て
こない。彩子はそんな望を見ていてひどく悲しくなった。
「ごめん。ごめんね。」
 彩子が立ち上がって去ろうとした。しかし、それを望の声が押し
とどめる。
「こんなの私らしくないよね。」
 彩子は驚いて望を見つめる。いつのまにか望も彩子を見つめてい
た。
「おなかすいちゃったよ。早くいっしょに食べよう。」
 彩子はぽとんと落ちるように椅子に座り直した。望のその言葉は
嬉しい。しかし、悪いことをしたという気持ちは拭い去れていなかっ
た。
「ごめんね、望。」
 しかし望は快活に答えた。
「なに言ってんだよ。彩子はなんにも悪くないだろ。」
 望はことさらに大袈裟な身振りで鞄から弁当を取り出した。運動
量の多い望の弁当は彩子のそれの二倍ほどの大きさだ。望はそれを
どんと音を立てて机において言った。
「さっ、食うぞ。」
 二人は弁当を食べ始めた。いつもは弾む会話もこの日ははずまな
い。それどころか二人とも一言も口を発しない。
 それでもそうやって弁当を食べているうちに二人の心は徐々に落
ち着いてきた。お互いに相手のことを思いやっているだけで、喧嘩
しているわけではなかったからだ。
 望が大声で叫んだ。
「あっ!」
 それはさきほどまでとは違い自然な声だった。彩子は嬉しくなっ
て応えた。
「ソーサプライズ!どうしたのよ、望。」
 彩子の口調も自然なものだった。
「飲み物買ってくるの忘れた。」
 望は大事であるかのようにそう言った。一瞬の間の後、二人とも
大きく笑った。もともと親友の二人はちょっとしたきっかけで元の
自然な関係に戻ることができる。これをきっかけに二人はいつもの
自分を取り戻した。
 お互いのクラブのこと、以前から約束していた週末の予定のこと、
二人はいつもの調子で話し始めた。
 そんななか、ふと会話が途切れた時、望はぽつりと言った。
「山元君ってさ、鏡さんと付き合ってるのかなぁ。」
 その言葉に彩子はぴくっと震える。箸の間からご飯がこぼれて机
に落ちた。
「あー、なにやってんだよ、彩子。」
 望は手を伸ばして落したご飯を拾い、自分のお弁当の蓋の上に置
いた。
 そして小さな声で付け加えた。
「大丈夫だってば。ただ、ちょっと気になるだけ……。」
 確かに大丈夫そうだと彩子は思った。そして同時に好雄から聞い
た忠志の話を思い出した。
「うーん、付き合ってはいないと思うけど……。」
 そこまで話して彩子はちらりと望の顔色をうかがう。特に嬉しそ
うでも悲しそうでない。本当にただの世間話を聞いているような顔
だった。
 彩子は続きを話す決心をした。
「でもね、山元君ってたまに鏡さんといっしょに下校してるみたい
よ。」
 二度、彩子は望の顔を見る。そこには驚いた表情の望の顔があっ
た。
「付き合ってもいないのに?」
 それはいつもの望の反応だった。彩子は嬉しくなって好雄から聞
いた話を続けた。
「それがね。山元君って一年の頃からずっと帰りに鏡さんを誘って
たんだって。最初は鏡さん、全然相手にしなかったんだけどあんま
りしつこいんで根負けしちゃったんだって。」
「へー、やるなぁ。山元君。」
 望は妙に感心したような納得したような顔をした。
 それを最後に二人の話は他に移り、その後、二度と忠志の話に戻
ることはなかった。

 その日、望のトレーニングメニューはランニングだった。正確に
言うと望がランニングにしてしまった。
 コーチは渋い顔をしたが、男性である彼には望が今日は水に入り
たくないというのを止めることはできなかった。もちろんコーチな
のだから今日が望のそういう日ではないということは彼には分かっ
ていたが、だからと言ってはっきりとそう言うことができる性格で
もなかった。
 水泳部の女の子達はときどきこの手で練習をサボっているのを彼
は良く知っていた。しかし、望はけっしてそんなことをしたことは
なかった。そんな望の練習拒否は彼に少なからぬ衝撃を与えた。あ
るいは本当に水に入りたくない理由があるのかもしれない。彼はそ
う思おうと努力した。
 しかし、望にはコーチがそんな風に悩んでいることなど思いもよ
らないことだった。自分のことだけで精一杯だったのだ。
 昨日からのもやもやした気持ち、どうするべきか、どうしたらい
いのか、分かっているだけにそんなことで悩んでいる自分がたまら
なく嫌だった。
 望はひたすらグラウンドを回りつづける。
 スポーツ選手としての自覚が骨まで染み付いている望は無茶なペー
スで走ったりはできない。ジョギング程度のスピードでひたすら周
回を重ねる。
 関係ない彩子まで泣かしてしまった。
 そのことが望の心に重くのしかかる。いつもふざけていてお気軽
に見える彩子が実は友達思いで望のことをどれだけ真剣に考えてく
れているか、望には痛いほど分かっていた。
 体調が悪く不本意な成績で大会を終えたあの時も、スポーツ特待
生は赤点でも平気な顔をしているといじわるな先生に馬鹿にされた
ときも、彩子は望よりも激しく泣いて、怒ってくれた。
 望はひたすらグラウンドを回りつづける。
 望の足が自然に止まった。グラウンドの端に座り込んで休む。
 考えがまとまったわけではない。オーバーワークにならないよう
に意識しないうちに休んでしまっただけだ。
 その時、昇降口から出てくる魅羅の姿が目に入った。
 望はぼんやりと彼女を見つめる。
 鏡さん、奇麗だな。髪もふわっとしていて素敵だな。羨望とも嫉
妬とも違う素直な気持ちでそう思った。私も……という気持ちより
も諦めの方が強かった。
 その時、もう一つの人影が昇降口から現れた。忠志だった。
 忠志は望が見たこともないような微笑みを浮かべて美羅に向かっ
て走りよった。そして、魅羅に並んでいっしょに歩き始めると魅羅
になにごとか話し掛けた。
 魅羅は忠志の方を見ようともしない。しかし、忠志の様子からす
ると返事はしているようだ。忠志は相変わらず楽しそうに笑いなが
ら魅羅に何か話続ける。
 二人の姿が校門から消え去るまで望は二人の姿を見詰めていた。
 山元君、君はやっぱりすごいよ。
 相変わらず望の心には羨望も嫉妬も浮かばなかった。ただ、忠志
の姿に比べて余りに惨めな態度の自分が悲しかった。
 望は立ち上がると再び走り始めた。
 山元君、君はやっぱりすごいよ。君を好きになって良かったよ。

 翌日の放課後、望は校門の近くの木の陰から下校する生徒たちを
見詰めていた。
 本来ならクラブが始まる時間だが、今日はさぼっていた。体調が
悪いから休ませてくれといった時のコーチの心配そうな顔が望の心
に刺さった。望がクラブをさぼるのは初めてのことだった。
 次々に生徒たちが下校して行く。望は友人が通りかかるたびに木
の陰に身体を隠す。今日は彼らに見つかりたくなかった。
 その時、望が待っていた人陰が昇降口から現われた。望には幸い
なことに一人きりで望の方に向かってきた。
 望の心臓の鼓動が大きくなる。顔が赤くなってゆくのが自分でも
感じられる。相手はもうすぐそこまで近づいてきている。
 前に出ようとする望の足が動かない。熱でもあるかのように世界
がぐるぐる回り始める。
 待っていた相手は望の目の前を通り過ぎようとする。
 それでも望の足は動かない。声も出ない。
 その時、何かが望の心を一押しした。動かなかった足もかろうじ
て動くようになった。
 望は目の前まで来ている人物の前にすっと歩み出た。彼は不審そ
うな目で望を見つめる。
 望はからからになった喉で、しかし思いのほか自然な声で言った。
「や、やあ。山元君。よかったら……。いっしょに帰らないか?」

		おわり

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