第四章 ノゾミはノゾミ

 特別練習が終わって喫茶キラメキマンに行くともう山元先輩も間淵先輩も早乙女君も来ていた。そりゃ、8時近くまで学校にいる人の方が珍しいんだから当然だけど。でも柴田先生もイエローらしい人もいない。どうしたんだろう。
 ともかく私は三人のいる席についた。三人はそれぞれ三様の時間のつぶし方をしている。早乙女君はメモ帳に何かを真剣に書き付けている。きっと今日集めた女の子の情報だな。間淵先輩は漫画を読んでいるんだけど右手はしっかりカメラを構えたままだ。うーん、なんて器用なんだろう。でもこんなときまでカメラを構えている理由はないんじゃないかなぁ。山元先輩はノートに何かを思いつめたように書いている。いったい何だろう。どれどれ……。
「げげっ、『清川望、その愛の行方』!?なんなんだよ、これは!」
 山元先輩はノートから顔を上げて私を見ると大慌てでノートをかばんにしまおうとした。
「ちょっと待って、先輩。これはいったい何?」
 私はしまわせないようにノートをがしっと掴んだ。山元先輩も取られまいとしてノートをしっかり握っている。
「こっ、これは清川望FCの回覧誌で、今書いとったんはショートストーリー、ただの小説や。」
「それにしたってこのタイトルは何?いったいどんな話を書いているの!」
 山元先輩の額には大粒の汗がたくさん浮かんでいる。これは冷や汗だな。間違いない。ということは、やっぱり私に読ませたくないような内容なんだな。
 私はできるかぎり冷たい視線を山元先輩に向けた。山元先輩にはこれが一番こたえるはずだ。
「先輩、私に読ませられないような内容じゃないんでしょうね?」
 山元先輩の汗の量が一気に三倍になった。もう汗というより顔を洗ってタオルで拭く前みたいだ。ノートを掴んだ手もぶるぶる震えているし、これはよっぽど私に読ませたくない内容なんだな。
 それにしても間淵先輩は冷たいなぁ。先輩だって回覧誌のことを知っているはずなのに全然山元先輩をかばおうとしない。あれ?間淵先輩の手が震えている。カメラの横から汗もみえる。
「さては間淵先輩にも何かやましいところがありますね?」
 私がそう言ったとたん間淵先輩の震えが震度7になった。顔とカメラだけは全然揺れていないところはさすがだけどマンガはもうばらばらになりそうなくらい揺れている。
 まてよ、そうすると大人しい早乙女君も……。あっ、メモ帳がいつのまにかしまわれてコーヒーを飲んでいる。でも、そのコーヒーを飲む手が細かく震えている!
「早乙女君!さっきのメモ帳にいったい何を書いてたの!」
 早乙女君の手が大きく震えだした。間淵先輩と違って顔も震えるから歯とカップがぶつかってがちがち音を立てる。
「なっ、何でもないよ。ほら、昨日健康診断だったから……、じゃなくて、ほら、あの……。」
 私の怒りがついに頂点に達した。私はオリンピックの決勝のラスト2メートルのときにも出せないような力で山元先輩からノートをひったくってもう一方の手で早乙女君の胸座を掴んだ。そのまま早乙女君を持ち上げて私はこう言った。
「さっきのメモ帳を出しな。」
 我ながらどすの聞いた声だった。
 私が早乙女君に注意を向けているのをチャンスだと思ったのか山元先輩がノートにそうっと手を伸ばした。私はその手をノートでばしっと叩くと山元先輩にこう言った。
「このノートは今晩じっくり読ませてもらいます。構いませんね。」
 山元先輩は何かを言おうとした。でも私はその前にもう一度言った。
「構いませんね?」
 山元先輩は再び何か言おうとしたけど今度はそれを早乙女君の声がその前に割り込んだ。
「くっ、苦しい。離してくれ、清川さん。め、メモ帳は渡すから……。」
 山元先輩はその言葉を聞いてついにあきらめたのかなにかぶつぶつつぶやいて伸ばしていた手を引っ込めた。
「早乙女君、メモ帳はどこ?」
 私は早乙女君を少し降ろしてあげるとそう聞いた。早乙女君はあうあう言いながら自分の胸ポケットを指差した。降ろしてあげたときに気管に指が食い込んでしまったみたいだ。私は早乙女君の胸座から手を離すとすばやく胸ポケットのメモ帳を抜き出した。早乙女君は机に倒れ込んで何度もせき込んだ。
「さて、間淵先輩。そのマンガ本を見せてもらえます?」
 よく見るとそのマンガ本は妙に薄くて真っ白な紙に印刷してある。表紙もカラーじゃないし、絵もあんまりうまくない。ひどく震えていて読みにくいけど私は表紙のタイトルを読んでみると……。
「の、望ちゃんの危機一髪?ちょっと貸しなさい!」
 私は強烈な勢いで間淵先輩からその本を奪い取った。でもその必要はなかったみたいだ。間淵先輩はあっさり手を離したし、離した後もそのままのポーズでぶるぶる震えている。
 私はノートとメモ帳とマンガをかばんにしまうと三人に向かって言った。
「今晩じっくり読んで、もし、もし変なことが書いてあったらそれなりの覚悟はしてもらいますよ。」
 私の声が聞こえたのか聞こえなかったのか山元先輩はぶつぶつ、間淵先輩はぶるぶる、早乙女君はごほごほいうだけだった。でもまあいいか。これは今晩しっかり調べればいいこと、問題は芝田先生のいう真の敵だ。私は気持ちをしっかり切り替えた。
「ところで先輩たち、芝田先生のいう真の敵って本当にいると思います?」
 私がそう聞いても山元先輩はぶつぶつ、間淵先輩はぶるぶる、早乙女君はごほごほいっている。だめだなぁ、気持ちの切り替えが下手だと……。こんなことじゃ試合には勝てないよ。そりゃ、スポーツクラブに入っていない彼らには関係ないかもしれないけど……。
「それにイエローって誰なんですか?私はまだ会ったことないんですけど。」
 一番先に立ち直ったのは早乙女君だった。
「それがな、俺もまだ一回しかあったことないし、それも変身後の姿だけなんだ。」
 なんだか早乙女君ずいぶん悔しそう。なぜなんだろう?
「でも正体はみえみえなんでしょ?」
 早乙女君はぶんぶん首を降った。
「それが、ふりふりのドレスを着て長髪を黄色に染めて尖がったマスクをしているだけなんだけど誰だか分からないんだ。どっかで聞いた声なんだけどなぁ。」
「ふりふりのドレスってことは女生徒?それとも……。」
 私は頭に浮かんだ怪しい姿を必死に消した。
「もちろん、女だ。それなのに正体がわからないんだよ。」
 そっかぁ、それで悔しそうなのか。納得。
 その時、二番目に復活したのは間淵先輩だった。
「俺は二度会ったことがある。最初に会ったときはマスクはしていなかった。素顔じゃ恥ずかしいから自前でマスクを作ったんだそうだ。」
 そうか、その手があったか。って私はもうノゾミにならないんだから関係ないか。
「間淵先輩!その時の写真はありませんか!」
 間淵先輩はカメラごとぶんぶんと首を振った。うーん、なんだか流し撮りをしてるみたいだ。
「いや、俺も既に変身していたから……。ほら、グリーンカメラは撮影できないから……。」
 役に立たないカメラだなぁ。なんでそんなの持ってるんだろう。あっ、そうか再生カメラとか特殊な機能があるんだっけ。
 最後に復活したのは山元先輩だった。
「俺は素顔のイエローに会うたことがある。」
 その言葉を聞いて早乙女君が身を乗り出した。どこから取り出したのかまたメモ帳を持っている。あっ、さては……。
 私の視線に気が付いたのか早乙女君が慌てて言った。
「ちょっと待って、清川さん。さっき渡したメモ帳は本当にさっき書いていたメモ帳なんだ。これは取材メモ帳、これに書いた情報を後で整理してあのメモ帳に書くんだ。」
 ってことはこのメモ帳にも……。でもまあいいか。何を書いていたかはあのメモ帳を調べれば分かるんだから。
「で、山元先輩。イエローってだれなんです?」
 山元先輩は漫才師のように大袈裟に肩をすくめた。
「それが分からへんねや。確かにきらめき高校の制服着とったし、俺の名前を知っとったからきらめき高校生に間違いないと思うんやけど、名前を言わへんかったし、その後探してみたけど見つからへんねん。」
 早乙女君は悔しそうにペンをメモ帳に叩き付けた。
「くー、俺が見ていれば……。」
 山元先輩はぷるぷる首を振った。うーん、こんなところまで漫才風だなんて、山元先輩の関西さも徹底してるなぁ。
「いや、それがな。イエローの服をセーラー服に変えたってだけの奴なんだよ。そう、清川さんとまるっきりおんなじパターンなんだ。それなのに正体が分からないんだよ。」
 ふーん、って、じゃあそれって私ってノゾミになってもまんま清川望に見えるってこと?それじゃもろばれじゃなくってそのまんまじゃないか。あっ、そうか。芝田先生ってそのまんまなセンスなんだっけ……。あーん、そんなこと分かっても嬉しくないよぉ。あれ?じゃあどうしてイエローの正体は分からないの?うーん、私は考え込んでしまった。先輩たちも考え込んでしまった。
 その時、バターンと入り口のドアが開いて白衣の連中がどやどや入り込んできた。
「いらっしゃいませ。すんませんが本日は貸し切りですよって。」
 そうか、そういえば山元先輩ってここのウエイターを兼任してるんだっけ。私が入ってきたときはショートストーリーに熱中していてウエイターを忘れていたんだな、きっと……。
 その時、白衣軍団の後ろから一人の女性が進み出てきた。馬鹿みたいに大きなサングラスをかけて真っ赤で龍虎の絵が入った白衣を着た変な女だ。そもそも真っ赤じゃもう白衣じゃないよね。髪型はボブカットというか成長したわかめちゃん。うーん、どこかで会ったことがあったような気がするなぁ。でも私の知り合いにこんな濃い趣味の人っていたっけ?
「いいの。あたしらは今日の招待客やからなぁ、キラメキマン。」
 ええ?するとこの濃い格好をした変なねぇちゃんが真の敵?
「すんませんが、そんな連絡受けてまへん。なんかの間違いやないんですか?」
 あー、もう。山元先輩ったら何をのんきなことを言ってるんだよ。これが芝田先生の言っていた真の敵だってば。
 私がそう言おうと立ち上がったとき間淵先輩が立ち上がって叫んだ。
「違うぞ、山元。これが真の敵だ。」
 見ると早乙女君が赤い時計に向かって叫んでいる。
「ミスターS!敵が現れました。どうするんですか?」
 うーん、さすがにキラメキマンでは先輩だな。訓練が行き届いている。もしかすると山元先輩もぼけて時間を稼いでいたの?でもそれってキラメキマンにすっかり浸ってしまったってこと?私は気を付けなくちゃ。ってだから今日が最後で私はもう止めるんだってば……。
「無駄やで、キラメキレッド。ここは電波封鎖したさかいにおまえの装置は役にたたんで。」
 その言葉は嘘じゃなかった。早乙女君の時計からはノイズしか聞こえない。いつのまに操作したのか山元先輩の時計からも間淵先輩の時計からも同じ音が出ている。すると出遅れたのは私だけ?でも、まあ、その方が幸せかも……。いや、芝田先生のいう真の敵がいた以上ノゾミは本当に必要なんだ。いや、わからないぞ。これも芝田先生の狂言かもしれない。
「我が主の命により、お前らの時計、奪わせてもらうで!行け!下僕衆!」
「ヒモー!」
 趣味の悪いねぇちゃんの指示を聞いて白衣の集団が変な叫び声をあげて襲い掛かってきた。芝田先生、狂言にしては迫力がありすぎだよぉ。
「待ちたまえ!」
 その時、誰かの声が室内に響いた。え?と思った瞬間、部屋は黄色いバラに包まれた。
「なんや、じゃますんな、キラメキイエロー!」
 変な趣味のねぇちゃんの声がバラ越しに聞こえた。それにかぶさるようにもう一度謎の声が聞こえた。
「変身するんだ。先輩たち!」
 その声が聞こえる前に既に先輩たちは変身を始めていた。これってひょっとしたら狂言じゃなくて本当に真の敵なの?とにかく私も変身しておこう。
「キラメキブラック。プットオン!」
「キラメキグリーン。ズームイン!」
「キラメキレッド。チェックオフ!」
「キラメキピンク。パワーアップ!」
 四人の声が重なった。そしてぴかぴかぐるぐるの大騒ぎで私たちの変身は完了した。
 それを待っていたかのように宙に舞っていた黄色いバラが地面に落ちて、私たちの前にはキラメキイエローが立っていた。後ろ姿しか見えないけど、黄色いミニドレスと黄色いハイヒール、黄色の長い髪の両脇に仮面舞踏会でかぶるような両側に尖がったマスクが見える。ずいぶん大きなマスクなんだろうな。あれなら顔はほとんど隠れると思う。私も作ろうかなぁ。って私はノゾミにならないんだってば。まあ、もうなっちゃったけど……。
「下僕四天王ともあろうものが私のいない隙を狙うとはなんともなさけないじゃないか、デビイ。それともこの私、レディレイがそんなに恐いかい?」
 レディレイ……。それがイエローの名前なのか。すると本名はなんたられい?そんな女の子いたかなぁ。でも確かにどこかで聞いたような声なんだけど。それにデビイってのがあの趣味のわるいねぇちゃんの名前?変な名前だけど、趣味の悪いねぇちゃんじゃ長いからしょうがないか。
「科学的とゆうてほしいわ。目的達成のための最上の手段を選ぶ、それこそ我が主の御心にかなった行動や!さあ、遠慮せんとやれ!下僕衆!」
 デビイの声にあわせて白衣の集団が大きくジャンプした。彼らは私たちから3メートルは離れていたのに一気に空中から襲い掛かってきた。さてはあの白衣も強化服だな。これは油断していると危ない。
「みんな、気を付けるんだ。彼らはパワーは強化されているが防御はそれほどではない。本気で殴ると死んでしまうぞ。」
 イエロー、レディレイは大声で叫んだ。でもその時には私に向かって三人も飛び掛かってくるところだった。私は思わず大きく手を払ってしまった。めきっという鈍い音がして飛び込んできた一人の脇腹に私の手が食い込んだ。しまった。私は飛び込んできた白衣の顔を見た。彼が床に叩き付けられるまでほんの一秒ほどだったろうけど私には無限に長い時間に感じられた。彼は、彼は、今年の新入部員の森君!彼は私にあこがれてきらめき高校に入って、高校に入ってから水泳を始めて、私が話し掛けるといつも真っ赤になって……。
 私が呆然としていると飛び込んできた他の二人が私の肩を掴んだ。振り払おうと思えば振り払えるんだけど、彼らの顔を見てみるとやっぱり水泳部の後輩達!なんで?なんでなの?その時、飛び掛かってきたもう一人の白衣に強烈な蹴りを食らって私は壁まで飛ばされた。衝撃はそれほどなかったけど息が一瞬詰まった。
「あぁ!清川さん、後輩になんちゅう事すんねん、奴らはあたしらと違ってただ催眠術で操られとるだけなんやぞ。そんな事していいんか?」
 デビイの声が呆然としている私の耳に届いた。催眠術で操られている?そんな後輩を殴れるわけがないじゃないか。
 先輩たちは……。やっぱり一方的にやられている。よく見ると先輩たちに襲い掛かっているのは清川望FCのメンバーだし、早乙女君の周りは女の子ばっかりだ。あれじゃ彼らも手出しはできない。ううん、私と同様うっかり殴ってしまった人が倒れている。なんで、なんで、こんなことをするの?
「気をしっかり持ちたまえ、先輩たち。パワーをコントロールすれば大丈夫だ。催眠術を解きたいならまず彼らを倒すんだ。」
 レディレイの声がする方を向くと彼女は首筋やみぞおちを正確に叩いて次々に白衣を倒している。そんなことを言っても……。その時、私は見た。私に向かって大きくジャンプしてくる女の子を、彼女は彼女はやっぱり私の後輩で、さっきまでいっしょに特別練習を受けていた白石さん。背泳でこの間高校新記録を出して……、もちろん練習でだから公認されていないけど、でもでも……。
 次の瞬間、強烈な衝撃が私の全身を走った。彼女の飛び蹴りが私の胸に当たったんだ。私の目から涙があふれた。痛かったからじゃない。悔しかったからだ。なんで彼女と戦わないといけないの?
「清川さん!君の後輩を助けられるのは君だけだ。気をしっかり持つんだ。」
 レディレイの声が私の耳に届いた。でも彼女がどこにいるのかもう分からない。もう私の目は何も見ていない。
「おぉっと、イエロー!それ以上のアドバイスは無用や!それに下僕衆を減らすのもやめてもらいたいわ。あんたの相手は私がするで。」
 デビイの声もどこか遠くから響く。
 なんで私はこんなことをしているんだろう。もうノゾミにならないって決めたのに。その時、私の腕を誰かが掴んだ。ノゾミウォッチを外そうとしている。もうどうでもいいや。この時計がなくなれば私はノゾミにならなくてすむ。
「その汚い手ぇを清川さんから離さんかい!」
 なに?いったい何なの?
 私が顔を上げると山元先輩がFCの後輩を二人もひきずって私の前に立ちはだかっていた。すぐ前にはたぶん私の時計を外そうとしていた白衣が倒れている。
「いいかげんにするんだぁ。」
 その前では早乙女君が手足にしがみついている女の子達を振り払っていた。
「お前らは、お前らはこんなことをする女の子じゃないんだぁ。俺の調査に間違いはないんだぁ。」
 その横では間淵先輩がばしばし写真を撮っている。いや、そうじゃないみたいだ。カメラを向けられた白衣達が次々に倒れている。あれはひょっとして何かの武器になっているの?
「清川さん、後輩を指導すんのも先輩の勤めやないか。ぼ〜っとしとらんとコイツら助けたるんや。」
 先輩たちはさっきまでぼうっとしていたのが嘘のように次々に白衣を倒していった。しかもちゃんと加減をしているみたいだ。
 その時、白石さんが私に向かって走ってくるのが目に入った。それを見た私の頭にいままで感じたことがない感情、怒りに似た何かが浮かんだ。
「違う。これは何か間違っているんだぁ!」
 考えがまとまる前に体が動いていた。私自身の声もどこか別のところから響いてきた。私は殴り掛かろうとする白石さんの腕をかいくぐって彼女の懐に潜り込んだ。そのまま一気に担ぎ上げると彼女を床に叩き付ける。加減は自然にできていた。彼女はげふっと息を吐いて動かなくなった。でも怪我はしていないはずだ。格闘技の経験もない私だけどなぜかそれには自信があった。
 それをきっかけにして私は次々に白衣達を叩き伏せていった。なぜこんなことができるんだろう?考える前に体が動いていた。それは調子がいいときのレースの感覚に近かった。しかけるタイミングを考えているわけじゃない。ただ体がそう動く。そういう感じだ。投げているという意識はまったくない。ただ前へ前へ、それだけしか考えていなかった。
 気が付くと白衣の連中はみんな床に倒れていた。怪我をしているのは最初の数人、私が倒したのは森君だけだった。先輩たちも息一つ荒くしていない。もしかするとこれもコスチュームの効果?やっぱり芝田先生はまだ私たちに何かを隠しているの?
「デビイちゃんだったよね?さあ、残りは君だけだよ。」
 早乙女君の声が妙に遠くに聞こえる。でもそれはさっきまでのうつろな感じとは違う。なんだか現実から私が一歩引いてしまっている感じだ。これもレースに集中しているときの感じにすごく似ている。
「やめたまえ、早乙女君。デビイは君の手におえる相手ではない。我々全員でかかっても勝てるかどうか。」
 デビイはレディレイの声ににやっと笑った。ううん、でも違う。彼女には余裕がない。彼女は何か焦っている。それが何かは分からないけどそう思っているのは確実だ。あの余裕は空元気だ。絶対に間違いない。
「ふふん、とんだ手助けになったようやわ。でもこれも計算通りやてゆうたら?」
 デビイの言葉に先輩たちが異常に反応している。テンションが高すぎる。挑発にのっちゃいけない。私はそう言おうと思ったのになぜかなかなか声が出ない。ううん、そうじゃない。私自身の声が聞こえてくる。なんだか私の時間が間延びした感じなんだ。いったいどうしちゃったんだろう?
「先輩、挑発にのらないで。彼女は焦っているんだから。」
 そうそれは確か。でもレディレイがいうことも間違っていない。デビイにはまだ余裕がある。私の頭の中を何かがぐるぐる駆け巡っている。でもそれが何かを考える余裕まではいくらなんでもなかった。
「デビイ!」
 レディレイの跳躍は私にはひどくのんびりしたものに見えた。そしてそれは私にフォローを要求していた。なぜだか分からないけど私にはそれが分かった。私は猛然と、そう猛然とデビイに向かってダッシュした。これが時速70キロ?ううん、もっと速い感じだ。空気が粘っこく感じられる。
「そこまでだ。」
 がんという感じがして私の感覚はいつものものに戻った。空気はもう粘っこくないし時間も普通のものに戻ってしまった。デビイへの突進は半分もいかないうちに止まってしまったし、デビイに飛び掛かったはずのレディレイもなぜかデビイの目前で止まっている。何が起こったの?
「芝田先生!」
 その声は間淵先輩のものだった。
 入り口を見るとそこには確かに芝田先生が立っている。でも様子が何か変だ。いつもの芝田先生と違う。ミスターSの時とも違う。なにかこう。レベルを超えたものを、そうさっきの私のような状態にいるんじゃないだろうか?
「デビイ。今日はおとなしく帰ってくれたまえ。君も今日はそうするように言われているんじゃないかい?」
 デビイに余裕が戻った。さっきみたいな感覚がなくなった私にもそれは分かる。するとデビイの余裕を奪ったのは芝田先生がいなかったこと?でもそれはなぜ?私には知らないことが多すぎる。
「憎いタイミングで出てくるなぁ、ミスターS。もうちょっと遅かったらあんたの愛するイエローもピンクも倒せとったんやけど……。」
 レディレイがぴくっと動いた。なんでこんな簡単な挑発に乗るの?デビイにそんな余裕がないことは分かっていたんでしょう?
「確かにな。しかし、その時は君も無事ではすまなかったと思うが?」
 デビイは不敵ににやっと笑った。これが本当の不敵な笑いか。私は初めて見た。レースでもこんな笑いを何度か見たけど、デビイの笑いほど不敵な笑いは見たことがない。なんなんだろう、この余裕は……。
「四天王は私だけじゃないし。」
「しかし、それでは君の主が許すまい。」
 デビイと芝田先生の間に何かが走った。私たちは割り込めない。レディレイですら硬直してまったく動けない。ただの言葉の駆け引きじゃない何かがあるんだ。
 次の瞬間デビイは消えた。本当に何の前触れもなく消えてしまった。私たちは唖然としてデビイがいた場所を見つめていた。
「先生。」
 それはレディレイの声だった。
「イエロー、君の気持ちは分かる。だが、デビイが言っていたことも確かだ。四天王の一人と相打ちになるわけにはいかなかろう?」
 レディレイは先生から視線を外し辺りを悲しそうに見回した。その視線の先には白衣を着せられた私たちの後輩達が倒れている。じゃあ、レディレイが熱くなっていたのは彼らのため?じゃあ、やっぱり彼女はきらめき高校の生徒なの?
「ちっくしょう。こんなできの悪いコスチュームを着せやがって、いったいどういうつもりなんだ。」
 早乙女君の声だった。女の子の暴力を振るってしまったのがよっぽどいやだったのかな。あんな真面目な早乙女君は見たことがない。
「ちがう。」
 レディレイと芝田先生がハモって言った。でも、レディレイの声には大きく怒りがこもっていたけど芝田先生の声は冷静だった。そして続きは芝田先生だけが言った。
「このコスチュームは彼らがオリジナルだ。防護力が劣っているのはそう作ったからだ。」
 なんでそんなことを?私だけでなく先輩たちもそう思ったらしく、みんな不思議そうな視線を芝田先生に向けた。でも回答は別の方向から来た。レディレイから、それも吐き出すように……。
「我々が全力で戦えないようにわざと防護力を落としているんだ。」
 冷たい、冷たい何かを飲み込んでしまったような。そんな気分に、そんな気持ちに私はなった。どういうこと?頭では理解できているんだけど心が納得できない、ちょうどそんな感じだった。
「ど、どういうこと?」
 私の声がうつろに響いた。そして言った瞬間、聞かなくても答えが分かった。それが私たちの真の敵なんだ。真の敵ってのはさっきのデビイでもデビイの主とかいう人でもなくて……。
「説明する前に聞かせてもらいたい。君たちはキラメキマンを続けてくれるのかな?」
 私は、先輩は、早乙女君は倒れている後輩達に目を走らせた。いろんな感情がぐるぐると私の頭を駆け巡る。きっと先輩たちの頭にも駆け巡っているだろう。芝田先生がなぜ私に公園の掃除をさせたのか、先輩たちに暴走族への注意をさせたのかはまだ分からない。でもデビイもデビイの主も許せない。
 私はレディレイを見た。期待するような、悲しそうな、同情するような、ううん、どれも違う。もっと複雑な目でレディレイは私を見ている。でもその目を見て私は今朝の彩子を思い出した。彩子の目はもっと単純に私を信じてくれている目だった。でもなぜかレディレイの目は私に彩子の目を思い出させた。
 私は大きなため息を吐いた。こんなに大きなため息は今までついたことがない。それに続いて先輩たちのため息も聞こえた。そうか、先輩たちもあきらめたんだ。しかたないよね。なんでだか分からないけどここまで関わってしまったんだから。あーあ、これも元はといえばみんな雷が悪いんだ。雷なんて本当に本当に絶対に嫌いだよ。本当に、本当に……。

 第一部 完


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