NO.2 2001年 1月28日

不幸の裏側

草

 

 
人は、病んで初めて健康の有り難さを知る。

その時その人は、健康の幸せをつかんだと言い替えることが出来る。

病んだことのない人は、健康の幸せを持たない。健康は、当たり前だと思っている。

 

貧乏してみて、お初めてお金の有り難さが分かる。

お金の不自由を経験しない人は、お金の有り難さを知らず、

案外お金の幸せをつかんでいない。

 

自分は病んだことがないと自慢している人が、ひとたび病むと

コロリといってしまう場合がよくある。

健康の有り難さも喜びも知らず、健康に慣れて油断しているからではないでしょうか。

それに比べると、平素弱い弱いと言われている人が、割合長命である場合もよくある。

健康の有り難さや喜びを身をもって感じ、感謝しているからだろう。

一病息災ということである。

 

考えてみると、幸福とは不幸の裏側にあるのではないか。

そこで、不幸を幸福に結びつけてゆく心の使い方が出来ない人は、

病んだら病み損、貧乏したら貧乏のし損ということになりやすい。

全く、心次第だと思う。

 

病むことも貧乏することも、昔は人間の不幸の原因だとされた。

今でも、そう思っている人が多い。

しかし、本当は幸福の原因なのだと、書き換えられる時が来るだろう。

病気や貧乏ばかりではない。

人生には、嫌な事、辛い事、悲しい事、くやしい事、シャクにさわる事、

腹立たしい事、情けない事等 色々ある。

そのような事にあう度に心を転換して、「成る程こういうものか」、

「こういうこともあるのか」と、その都度自分の心の姿を振り返り、

この心を捨てねばならないと気付くことが出来たなら、毎日が幸せであると思うが、

どうだろう。

 

柵

 

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