人は、病んで初めて健康の有り難さを知る。 その時その人は、健康の幸せをつかんだと言い替えることが出来る。 病んだことのない人は、健康の幸せを持たない。健康は、当たり前だと思っている。 貧乏してみて、お初めてお金の有り難さが分かる。 お金の不自由を経験しない人は、お金の有り難さを知らず、 案外お金の幸せをつかんでいない。 自分は病んだことがないと自慢している人が、ひとたび病むと コロリといってしまう場合がよくある。 健康の有り難さも喜びも知らず、健康に慣れて油断しているからではないでしょうか。 それに比べると、平素弱い弱いと言われている人が、割合長命である場合もよくある。 健康の有り難さや喜びを身をもって感じ、感謝しているからだろう。 一病息災ということである。 考えてみると、幸福とは不幸の裏側にあるのではないか。 そこで、不幸を幸福に結びつけてゆく心の使い方が出来ない人は、 病んだら病み損、貧乏したら貧乏のし損ということになりやすい。 全く、心次第だと思う。 病むことも貧乏することも、昔は人間の不幸の原因だとされた。 今でも、そう思っている人が多い。 しかし、本当は幸福の原因なのだと、書き換えられる時が来るだろう。 病気や貧乏ばかりではない。 人生には、嫌な事、辛い事、悲しい事、くやしい事、シャクにさわる事、 腹立たしい事、情けない事等 色々ある。 そのような事にあう度に心を転換して、「成る程こういうものか」、 「こういうこともあるのか」と、その都度自分の心の姿を振り返り、 この心を捨てねばならないと気付くことが出来たなら、毎日が幸せであると思うが、 どうだろう。 |