サンタクロースは、いるのでしょうか。それとも、いないのでしょうか。つぎのぶんをよんでよくかんがえてみてください。
しんぶんのきじをかいている人へ---わたしは8さいです。わたしのお友だちはサンタさんなんていないっていっています。パパにきいたら、しんぶんのきじをかいているひとにきいてみなさいって。ねぇ、サンタさんはいるのいないの?
バージニア
バージニア、あなたのお友だちはまちがっています。うたがうようになってしまっていて、ちいさなお友だちの、そのちいさなあたまでは、じぶんの目に見えるものしか、しんじられなくなってしまっているのです。おとなのものであれ、子どものものであれ、わたしたちのあたまのなかは、ちいさなちいさなものです。この広いうちゅうの中では、にんげんはちいさなアリのようなものなのです。
バージニア、サンタクロースはいるのです。サンタクロースは、パパとママのあいじょうや、人をゆるせる心がちゃんとあるように、また、ひとのためにしんせつにしてあげることができることとおなじように、サンタクロースはいるのです。ああ、もしサンタクロースがいなかったら、生きていくことは、なんとさびしいものであったでしょう。すなおにしんじるきもちはなく、たのしいうたもなかったことでしょう。わたしたちはじぶんがかんじられるものや、見えるものの中にしか、たのしみをみつけることができなかったことでしょう。
サンタクロースがいないとおもうのなら、あなたは、ようせいもしんじないのでしょうか。クリスマスイブにパパにたのんで、いっぱいの人にえんとつをぜんぶみはらせて、サンタクロースをつかまえようとしたとしましょう。でもそのときサンタクロースが、えんとつから、おちてくるのを見なかったとしても、それがサンタクロースがいないことをしめすわけではありません。目にみえるものがすべてじゃないんだよ、バージニア。しばふのうえでおどるようせいをみたことなんてなくても、ようせいがいないなんておもわないでしょう?目にみえないものが、あるなんてふしぎなことをかんがえることさえできなくなってきてしまっているのは、かなしいことです。
あかちゃんのガラガラをこわしてしまえば、どうしてガラガラなるのかわかることでしょう。でも、目に見えないせかいをおおうベールはつよい人をいっぱいいっぱいあつめてきても、やぶくことはできません。あいじょう、しんじるきもち、ひとのためにつくすこと、うたのような見えないものだけが、ベールをとりさり、そのむこうにあるうつくしいものを目にすることができるのです。それらはちゃんとさわれる、みれるものでしょうか?ねぇ、バージニア、このよのもので、いつまでも、さわれて、みれることができるものなど、なにひとつないんだよ。
サンタクロースはいつまでもいきつづけます。1000ねんまえから?いいえ、バージニア、10000ねんのそのまた10ばいもまえからいきつづけて、こどもたちによろこびをあたえつづけているのです。