F 旧吹田村コ−ス 散策 スナップ集

2002年1月26日    

常光円満寺(元町)
 
寺伝によれば、奈良時代に行基菩薩が創建し、
室町時代には足利将軍の菩提寺として栄え、
七堂伽藍を配した大寺であった。
僧兵も抱えていたということです。

 現在は、地蔵像を新しく作ったり、
西国33箇所のミニ版を設けたり、
親しめるお寺を目指し、学生向けの宿泊設備を
経営するなど、意欲的な経営をしています。

  光徳寺境内(内本町)
 
本堂は250年近く経た総欅造りの立派ものです。
境内はイチョウ、ムクノキ、クスノキの大木があり、
その他の樹種も多い。

緑の少ないJR以南地区ではオアシス的存在です。
 西尾邸(内本町)茶室前
 西尾家は、江戸初期より仙洞御料(上皇の領地)の
庄屋を務め、経済だけでなく文化の発信基地として
地域に貢献してきました。

 屋敷は1400坪、建物は300坪と広大で、茶室庭園と
ともに文化財として価値の高いものです。

しかし、相続税のため取り壊しの危機にあります。
市民の文化財として守りたいものです。

 西尾邸プール・防火用水跡
 第2次大戦中に防火用水として造られたものですが、
プールとして付近の子供たちにも開放されたものです。


 大の木神社(内本町)
 周囲10数メートル、樹齢700年のムクノキの
古株が、覆い屋根に守られて立っています。

 ここは、鎌倉時代に太政大臣として権勢を誇った
西園寺公経・実氏親子が川遊びなど豪遊に耽った
別荘「吹田殿」の跡といわれています。
 川面(かわづら)墓地(内本町)
吹田出身「大関松の音善蔵」の墓碑
 大関という大阪相撲の最高位
(当時横綱の呼び名はなかつた)にありながら
現役のまま病死した地元吹田出身の力士の墓です。
 南高浜町を歩く
 神崎川を利用し、京都・大坂への運輸と対岸との
渡し舟で賑わったこの一帯は、現在も旧街道沿いに
お屋敷が多く見られます。


南町道標
 ここは亀岡街道と吹田街道の分岐点で、道標は、
北方向に「京、茨木、総持寺、富田、高槻、勝尾寺、芥川」、
西方向(吹田街道)に「中山、池田、伊丹、岡(町)」、
南方向「すく(直)大坂」の文字が見られます。

 広い範囲の町や寺院へ向かう別れ道でもあり、
市場など商業の盛んな所でもありました。

 


 神崎川(旧 三国川)
吹田の渡し跡
 
案内板には江戸時代の「摂津名所図会」に載った
絵が写されています。
 当時の川幅は400m余りで現在の3倍強あり、
砂浜と松林がある風情のあるものでした。
南高浜歴史民家の庭
 旗本・柘植氏の領地を管理する庄屋を務め、
回漕業の権利(過書船株)を持っていた旧家の屋敷でした。

 現在、建物・敷地が市に寄付され、
市は歴史資料館の展示、建物の見学、文化活動への貸し室、
街づくり市民活動の拠点などに活用すべく計画中の施設です。

 改装工事の後、一般公開は平成15年度中頃の予定です。
 
 吹田町役場・初代市役所跡
 旗本・竹中氏の陣屋から村役場、町役場、
初代市庁舎となり、吹田の政治の中心場所でした。

 その後、済生会病院から現在は
民間のマンションとなっています。

 
高浜神社
御神木「鶴の松」
 昔の境内には、松の大木が沢山あり,鶴が巣を
つくりましたが、太閤秀吉公が大坂築城の時、
用材として切り取られたとの伝説が残っています。
枯れた古株「鶴の松」が名残です。

 現在、まばらな樹木の間に自動車がぎっしり詰まり、
吹田を代表する神社の境内としては悲しい光景です。

西尾邸主屋(おもや)前にて 
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2002年1月26日