第9回「神童」
-ピアニスト
Vol.2-
1945年5月8日・ペンシルヴェニア州アレンタウンに一人の男子が
誕生し、この時、主要惑星はすべて牡牛座に入っていたといわれ、
折しも対独戦争終結の日でもありました。
その男子が一歳になった頃、母親は50ドルで買ったピアノを彼に与
えました。
もともと母親はピアノを母親の祖母はピアノ教師を、父親はヴァイ
オリンを弾く音楽一家だったこともあった為にその男子には親譲り
の音楽的才能があった様子でしたし、事実、その片鱗を感じさせて
いたのです。

1952年11月ジュニア・ハイスク-ル時代(中列左端)
ある日・・>ラジオから流れるメロディ-に合わせてピアノを弾き、それを
聞いてい た両親は、耳をたよりにピアノを弾くようになってはと、専門
的な知識や技術の習得の為にと先生を物色しだしました、彼の音楽的才能
を伸ばす為にと思う親心だったのでした。
音楽的才能もさることながら、その子のIQは天才的レベルに達していて、
6歳の時に一年生ではなく3年生クラスに入れられたことからも窺えます。
しかし本人は音楽以外の物事にたいした興味を持っていた様子ではありま
せんでしたし音楽以外では、ごく普通の少年だったようです。
彼が5歳の時にポ-ル・ホワイトマンのタレント・スカウト番組に出演し賞
を受賞します、また、7歳の時にはウ-マンズ・クラブ主催のクラシックコ
ンサ-トへ 出演、8歳の時には世界最大の奉仕クラブであるライオンズクラ
ブ国際総会のアトランティックシティ-大ホ-ルで独奏をします。
後年になって彼はこう述べています、「私は早くから作曲を始めていて、
最初の作曲はモ-ツアルトのある協奏曲の最後の和音に、音をひとつ加える
こと。レッスンでは原曲どおりに弾き、自宅ではもうひとつのやり方で弾
いていました・・6.7歳の時からメロディ-を書いてそれをもとに即興演奏
することを始めていたと思う」・・っと。

1961年、スタンケントン・ジャズ・クリニック時代(前列左3人目)
いろいろな出会いや経験をつんだ彼は、1963年にボストンバ-クリ-音学
院に入ります・在学中は対位法の授業に特別の関心を持っていたといわれ
あるコ-ドプログレッション授業の担当教授に和音転調に関し疑問を指摘
されると、「昨晩、弾いてみましたが、いい響でした」と言ったり・・・
作曲や編曲が教師の添削で真っ赤になったりしていました、その曲はすで
に何度もジャムセッションで演奏されて称賛されているものだったのです
そしてある日・・・・。
練習室で友人とセッションをやって、直接ピアノ線に触れて曲を弾いてい
た時に理事であったロバ-ト・シェアが入ってきて彼にこう言いました・・
「出て行け!!」っと・・・。
そして彼はバ-クリ-を去ります、そしてその後、彼がゲイリ-バ-トンと一
緒にニュ-ポ-ト・ジャズ・フェスティバルで演奏していた時のこと、その
シェアが楽屋にやってきて・・「私のことを覚えてますか?、君に謝りたい
のです、君の音楽はいつも聴いていますよ」と言うと、そんなシェアの謝
罪を彼は愛想良く断わってこう言ったのです「お分かりでないでしょうね
僕はあなたにバ-クリ-から追い出されたことからすべての名声を築いたの
ですよ」っと・・。
すでにその時には偉大なブレイヤ-、"キ-ス・ジャレット"としての輝きを
放っていたのです。

STILL LIVEは2枚組みで、Disk2に収録の"I
Remember Clifford"は
この曲のテイクでは最も好きなバ-ジョンです。
Paris Concertは必聴盤でしょう。
Ian Carr著「キ-ス・ジャレット・人と音楽」よりご紹介しました。