「1996.10.15」揺れる貴公子〜伊集院レイ〜

[No.0000000004]新里

・伊集院の部屋

伊集院 |そろそろ九時…。
    |また、彼からの電話がかかってくる時間…。
    |何を話すというわけでもなく、ただ単に電話をするだけだけど…。
電話  |Trrr…Trrr…
    |ガチャ
伊集院 |伊集院だが。
小波  |小波駒人だけど。
伊集院 |何だ、また君か。
小波  |いや、別に用はないんだけど…。
伊集院 |それじゃぁ、今日は金粉入りのビーフストロガノフの話を…。
小波  |…じゃぁ、そういうわけで。
伊集院 |ま、待ちたまえ!
小波  |ガチャ
伊集院 |…。ふぅ…。
    |今ではすっかり日課になってしまった彼との電話…。
    |この事は、ゆかりにも話していない…。
    |僕は…ゆかりを裏切っているのかも知れない…。
    |そして…僕自身の…。

・伊集院の部屋(翌日朝)

伊集院 |ふむ…今日は天気がいいな。
    |それに…気分も非常にいい。
外井  |レイ様、お車の用意が出来ました。
伊集院 |いや、今日は歩いて行く。
外井  |レ、レイ様…。
伊集院 |そんな情けない声を出すな。
外井  |しかし、私の最近の楽しみと言えば、レイ様の通学のお手伝いを
    |することだけでして…。
伊集院 |もっと人生を楽しめ、外井。
外井  |私は、レイ様と共にいられればそれで幸せでございます。
伊集院 |そうか…。
外井  |はい。
伊集院 |では、行ってくる。
外井  |レイ様…。い、いえ、行ってらっしゃいまし…。
伊集院 |うむ。

・通学路

伊集院 |たまにはこうして歩いて通学というのも若者らしくていいものだな。
好雄  |なに爺臭いこと言ってるんだよ。
伊集院 |何だね、失礼な…。
好雄  |伊集院が徒歩で学校に行くなんて、珍しいこともあるんだな。
伊集院 |何だ、誰かと思えば付録じゃないか。
好雄  |付録?
伊集院 |いや、失礼…。えっと、君の名前は…。
好雄  |お前、同じクラスで二年目なんだから、名前くらい覚えろよ。
伊集院 |失礼、失礼。どうしても駒人の付録というイメージがね…。
好雄  |うぐ…。
伊集院 |ついでに言うなら、庶民の名前を覚えるなど…。
好雄  |うぐぐ…。
伊集院 |それはそうと、今日は駒人とは一緒じゃないのかね?
好雄  |俺は小波の付人じゃないからな。
伊集院 |ほう、それは気付かなかった。
好雄  |…。ところで伊集院。
伊集院 |なんだね、庶民。
好雄  |お前、いつから小波のことを駒人って呼ぶようになったんだ?
伊集院 |え?
好雄  |それに、俺の名前は覚えてないくせに、小波の名前は…。
伊集院 |そ、それは…。
好雄  |お前、もしかして小波のこと…。
伊集院 |ば、馬鹿なことを言うんじゃない。
    |なぜ、この僕が庶民などのことを…。
好雄  |ま、待て、なんでお前、赤くなってるんだ?
伊集院 |…!
好雄  |お前、まさか…。
伊集院 |(ま、まずい、ばれたか…。)
好雄  |金持ちには変な奴が多いとは思っていたが、ホモとはな…。
伊集院 |なっ…。
好雄  |頼むから、俺には手を出さないでくれよな、な。
    |俺、そういう趣味はないから…。
伊集院 |ま、待ちたまえ!
好雄  |じゃ、俺、先に行くから…。
伊集院 |お、おい…。
    |…。
    |(いや、誤解してくれるならその方が…。)
男   |もしもし…。
伊集院 |ん?
男   |あの〜、伊集院さんでしょうか…。
伊集院 |何だね、君は…。学生…にしては老けているな。
男   |あの〜、ちょっとお話があるんですが…。
伊集院 |…もしかして、さっきの会話を聞いていたのかね?
    |悪いが、僕は…ホモじゃない。
男   |あの〜、それって何の話でしょうか?
伊集院 |何だ、違うのか。じゃぁ、何の用だね?
男   |あの〜、ちょっと来て貰いたいところがあるんですけど…。
伊集院 |悪いが、僕はこれから学校なんだ。
    |かなり時間も遅くなってしまった。
    |もう誰もいないじゃないか…。
男   |あの〜、それはそれで好都合なんですけども…。
伊集院 |君にはどうか知らんが、僕は困る。
    |学校に遅刻するわけにはいかないんでね。
    |先生にも僕の存在はプレッシャーになっているようだし…。
    |遅刻して迷惑をかけるわけにはいかん。
男   |あの〜、今日は学校には行けないんですけど…。
伊集院 |何を言っているんだ、君は。
男   |あの〜、こういうことなんですけど…。
    |ガツン!
伊集院 |うっ…。

・廃工場

伊集院 |うっ…。
    |(ここは…どこだ…?)
    |(両手が…縛られているな…。)
    |(確か、見知らぬ男と話していたら…。)
    |ズキッ。
    |うっ…。
    |(頭が…。何かで殴られたのか…。)
女   |あら、気が付いたみたいね…。
伊集院 |だ、誰だ。
女   |初めまして、伊集院家の御曹司様…。
伊集院 |この僕にこんなことをして只で済むと思っているのか?
女   |ほっほっほ、只では済まないでしょうね。
    |たっぷり身代金をせしめてあげるわ。
伊集院 |なぜ、こんなことを…。
女   |なぜもやかんもないわ…。
伊集院 |…くだらん。
女   |お、お黙り!
    |ガツッ!
伊集院 |うっ…。こ、この僕の美しい顔に蹴りを入れるとは…。
女   |ほっほっほ。
    |あなたは手も足もでない捕らわれの小鳥…。
    |口答えは許さないわ。
伊集院 |小鳥だって足ぐらいあるし、さえずることも出来るが…。
女   |お黙りっ!
伊集院 |それより、なぜこんなことを…。
女   |…私は、伊集院家に恨みがあるのよ。
伊集院 |恨み?
女   |そう。会社を乗っ取られた恨みがね…。
伊集院 |乗っ取り…。まさか!
女   |あ〜ら、自分の家で汚いことが行われているなんてこと、ちっとも
    |教えられてなかったのね…。
伊集院 |乗っ取りが汚いかどうかはさておき、人に恨みを買うなんてこと…。
女   |何かむかつくわね…。
    |ふん、バブルに手を出して巨額の借金を抱えて傾きかけていた私の
    |会社にやってきて、経営権と引き換えに借金を肩代わりするとか
    |甘い言葉を囁いて、私の会社を乗っ取ったのよ!
伊集院 |…え?
女   |だから、私は伊集院家を許さないのよ。
伊集院 |でも、それって自業自得…。
女   |お黙りっ!
    |今、私のダ〜リンが、あなたの家に身代金を要求する電話をしてるわ。
    |今ごろ、伊集院家はパニックでしょうねぇ…。
伊集院 |可哀想に…。
女   |同情なんかされたくないわっ!
    |伊集院家を苦しめてやるのよ!
伊集院 |…。
女   |あなた、男で良かったわねぇ。
    |女だったら、一生誰にも言えないような傷を負わせてあげたのに…。
伊集院 |…。
女   |それにしても、ダ〜リン、遅いわね…。
    |電話はそんなに遠くなかったはずだけど…。
伊集院 |(公衆電話を使っているのか?自滅行為だな…。)
    |電話をしに行ってから何分?
女   |3分くらいよ。
    |…って、そんなことを聞いてどうするつもりなのよ。
伊集院 |じゃぁ、そろそろだな…。
女   |そろそろって、何よ…。
    |あんた、何か隠しているわね。言いなさいっ!
伊集院 |隠しているつもりはない。すぐにわかる。
女   |隠してないで、言いなさいっ!
伊集院 |あと1分…。
    |どうやら、君のダ〜リンとやらは戻って来ないようだねぇ。
女   |ま、まさか、ダ〜リン…。
    |ダ〜リンに何かしたんじゃないでしょうね?
伊集院 |僕は手も足も出ない小鳥だよ?
    |心配なら、自分のその目で確かめればいい。
女   |ダ、ダ〜リン!
    |ダ〜リンの身に何かあったら…。あんた許さないからね!
伊集院 |おっと、その手は振り下ろさないほうがいい。
    |これ以上、僕に手を出したら後悔では済まないことになるよ。
    |君は一生誰にも言えないような傷と言ったが、そんなのは甘い。
    |自分が誰なのか、一生思い出せないようにしてあげてもいいんだよ。
女   |捕らわれの身で何を言うのっ!
伊集院 |それより、ダ〜リンはいいのかね?
女   |ダ、ダ〜リン!
    |たったった…。
伊集院 |人質の僕を置いて行くとは…。とことん愚かだな…。
    |可哀想に…。
    |たったった…。
兵   |レイ様、ご無事でしたか!
伊集院 |ああ、何ともない…。
兵   |レ、レイ様、そのお顔の傷は…。
伊集院 |かすり傷だ。大したことはない。犯人はどうなった?
兵   |はっ、二名とも捉えてあります。
    |両名とも、かなり反省しているようではありますが…。
伊集院 |そうか…。
    |もう二度とこんな考えは起こさないだろう。逃がしてやれ。
兵   |はっ…。

・廃工場の外

伊集院 |庶民とは哀れなものだな…。
    |たったった…。
小波  |お〜い、伊集院!
伊集院 |な、何だね、こんなところへ…。
小波  |何だねって…。お前が誘拐されたっていう噂を聞いて…。
伊集院 |わざわざ来てくれたのかね?
小波  |え?…あ、いや、何となくな。
伊集院 |心配することはない。我が伊集院家が誇る私設軍隊が解決したよ。
    |事件発生から5分といったところかな…。
小波  |って、この軍隊、お前の家の軍隊なのか…。
伊集院 |まぁね。
小波  |まぁねって…日本国憲法はどうなったんだ…。
伊集院 |金の前には法律など無効なのだよ。
小波  |お、お前が言うと洒落にならん…。
    |で、犯人はどうなったんだ?
伊集院 |伊集院家に逆らったものの末路を身をもって教えてあげたよ。
小波  |そ、そうか…。
伊集院 |わざわざ心配してきてくれて、ありがとう。礼を言うよ。
小波  |なんか、伊集院らしくないな…。
伊集院 |じゃぁ、僕は学校へ戻る。君も早く戻りたまえ。
    |…と言っても、また学校で寝るのかも知れないが…。
小波  |今週はおしゃれ週間だよ。
伊集院 |…そうか。じゃ、失礼するよ。

・伊集院レイ通学用高級乗用車内

伊集院 |う…。
外井  |レ、レイ様、どうなさいました!?
伊集院 |いや、何でもない…。
外井  |しかし、ひどい汗ですけど…。
伊集院 |何でもない…。
外井  |レイ様…。
伊集院 |情けない声を出すな。
    |僕だって、伊集院家私設軍隊を信用していないわけじゃないさ。
    |でも…やはり、怖いと思った。いや、さっきまで大丈夫だったのに…。
    |小波の顔を見たら、何だか急に足が震えて…。
外井  |レイ様…。
伊集院 |いや、大丈夫だ。学校に行ってくれ。
外井  |かしこまりました…。
伊集院 |(小波…。)

・学校

古式  |あ、レイちゃん…。
伊集院 |ちょ、ちょっ、ゆ、ゆかり、学校ではその呼び方は…。
古式  |すみません、つい…。
    |それよりも、誘拐されたとかされなかったとかいう噂を聞きましたが、
    |大丈夫だったのでしょうか?
伊集院 |ま、まぁね…。
    |色々と心配をかけたかも知れないが、僕はこの通り、無事だよ。
古式  |良かった…。
朝日奈 |ねぇねぇ、何の話?
伊集院 |あ、朝日奈君…。い、いや、何でもないんだ…。
朝日奈 |もしかして、伊集院君が誘拐されたってこと?
伊集院 |な、何で知っているんだね?
朝日奈 |だって、好雄君が言い触らしてるもの。
伊集院 |あ、あいつ…。
朝日奈 |そういえば、伊集院君が誘拐されたって聞いて、小波君ったら大慌てで
    |飛び出して行ったみたいだけど…。会った?
伊集院 |えっ?
古式  |えっ?
伊集院 |(な、何てことを…。)
    |い、いや、彼とは「友人」として色々とまぁ、色々…ねぇ。
    |いい「友人」だよ、彼は…。ははは…。
朝日奈 |ふ〜ん、仲いいんだ。
古式  |…。
伊集院 |まぁね、男同士の友情というか…。ははは…。
    |(黙ってくれ朝日奈…。)
朝日奈 |そう言えば、伊集院君と小波君って、一緒にいること多いよね。
伊集院 |ははは…は…。
    |(頼むからそれ以上は…。)
好雄  |あれ、伊集院じゃねーか。
伊集院 |げっ、付録…。
好雄  |何だよお前、女の子とも話をするんだな…。
伊集院 |な、何を言って…。
朝日奈 |ねぇねぇ、それってどういうこと?
好雄  |実は、伊集院はホモだっていう…モガモガ。
伊集院 |な、何を言っているんだ。そんなはずないじゃないか…。
好雄  |モガモガ…。は、はなせっ。
朝日奈 |伊集院君って、モ〜ホだったの…?
伊集院 |ばっ、馬鹿なことを…。
好雄  |実は、小波に気があるらしいぜ…。
伊集院 |…!
古式  |…!
朝日奈 |…。あっははは、おっかし〜!
好雄  |あははは。
朝日奈 |そんなわけないじゃんね〜、ゆかり。
古式  |…。
朝日奈 |あれ、どしたの?…何か怒ってない?
古式  |いえ、怒ってなどいません…。
朝日奈 |あっそ。あ、もう授業始まっちゃう…。
好雄  |じゃ、教室に戻るか…。じゃな。
伊集院 |ゆかり…。あの…。
古式  |…。
伊集院 |ゆかり…。
古式  |わかっています。
    |レイちゃんは、私のために、小波さんのことを見て下さってるのですよね。
伊集院 |…。
古式  |そうだ、と言ってください。
伊集院 |…。
古式  |…失礼します。
伊集院 |ゆ、ゆかり…。
    |たったった…どたっ……たったった…

・伊集院の部屋

伊集院 |そろそろ九時…。
    |また、彼からの電話がかかってくる時間…。
電話  |Trrr…Trrr…
    |ガチャ
伊集院 |伊集院だが。
小波  |小波駒人だけど。
伊集院 |何だ、また君か。
小波  |いや、別に用はないんだけど…。
伊集院 |そうか…。
    |今日は来てくれてありがとう。嬉しかった…。
小波  |ま、友達として当然のことだけどな…。
伊集院 |ああ…。
小波  |それじゃ。
    |ガチャ
伊集院 |友達…か…。
    |ゆかり…ごめん…。僕は…。
    |なぜ…なぜ、涙があふれるの…。